20世紀に眩く輝くポップアートのスーパースターは、
間違いなくアンディ・ウォーホル(Andy Warhol, 1928-1987)である。
であるのなら、彼は天才?それとも虚飾を纏い貫き通した努力家?



アンディ・ウォーホル・キョウト展の入り口は、
晩年手掛けていた迷彩に隠れる「髪が逆立ったカツラ」が物語る。



1928年、文化芸術とは程遠い工業都市ピッツバーグに生まれた、
幼少時代のアンディは悲惨であった。
父母はスロバキア系移民で、2人の兄がいた。
生まれつき色素欠乏症の白い肌に赤ら顔、
周りの生徒の好奇な目に晒され、興奮すると神経症の舞踏病を発症し、
顔や手足に激しいけいれんを起こし、
真面な学校生活が送れず、小学校を何度も転校している。

それを助けたのが母親が買い与えた塗り絵に色を付けて、
そのご褒美に母ジュリアからもらうチョコレートが嬉しくて、
更に兄がハリウッドスターのタブロイド紙を買い与え、
そのスターの似顔絵を描くのが、
唯一アンディの喜びとなり精神安定剤となっていった。



1945年大学に入学し、絵画デザイン学科に在籍。
1949年に卒業するとニューヨークに移り、
商業デザイナーとしての成功を夢見て活動を始める。
その頃の彼は周囲からは「ボロボロのアンディ」と呼ばれ、
よれよれのシャツとズボン、みすぼらしいネクタイ。
こんなにも惨めに努力している姿を嘘でも演出してでも、
クライアントにアピール、同情を買ってでも仕事を欲しかった。
この時代にニューヨークで仕事するのは並大抵の事では無く、
前衛作家のオノ・ヨーコでも年がら年中、上下黒の服を着て、
作品以外でも注目される事に神経を尖らしていた。


今回のアンディ・ウォーホル・キョウト展は、
1956年に来日した時の京都に因んだ作品が展示されていた。
アンディと言えば銀色のカツラ、シルバーファクトリ、シルバーの飛行体、
絶対的なシルバーのイメージを持っていたが、
これらの作品は来日以降に制作され、多分にアジア、
京都の寺院の仏像、装飾品の黄金の影響を受けていると説明。

1956年以降に制作された金箔を施された、この一連の作品は

かなり完成度が低いが、京都開催を意識して選出されたのでは?

珍しい作品と言えば珍しい。

 


翼のある妖精












籠の中の鳥







孔雀







まあ色々あると思うが、元々アンディはスター、セレブなど、
光り輝くモノには無抵抗に信頼、愛情、愛着を持っていた。



アンディの初期の靴のデザインを元に作られた立体版。
彼が手掛けた数少ない彫刻と呼べるオブジェにも金箔が施されていた。



商業デザイナーとして成功を収めたアンディは、
1960年、当時ニューヨークの主流だった
ファインアートに活動の場を広げる事になる。
『バットマン』、『スーパーマン』などのコミックをモチーフに制作。
しかしコミックをモチーフしたリキテンスタインの作品を知ると、
方向を変えて、その矛先は20世紀初頭、
美術界に決定的な影響を残したマルセル・デュシャンにヒントを得る。
デュシャンは油絵を放棄した後「レディ・メイド」と称する既製品による作品。
最も有名な『泉』は男子用小便器に「R. Mutt」という署名をした作品。
1917年、「ニューヨーク・アンデパンダン展」出品予定だったが、
ふさわしくないと拒否され、後の破棄され、
唯一関係者による写真の一枚だけ残されている。


「レディ・メイド」感覚とシルクスリーンによる量産体制は、
折しも世界が資本主義による工業化により、大量生産、大量消費、
金満家の画廊経営者の思惑もあり、ポップアートが誕生、
そしてスーパースター、アンディ・ウォーホルのファクトリーが始動する。
ここまで到達するまでアンディは幾つかの変化を試みている。
少し大きな赤鼻とシミを整形治療している。
後に薄毛も気にして、ある時からカツラを愛用している。


文化芸術の発信基地はすでにパリからニューヨーク、
そしてチェルシーホテルからファクトリー。

1952年、お母さん子だったアンディは、
母ジュリアをニューヨークの自宅に呼び寄せ一緒に住んでいたが、
ファクトリーの活動が世界中から注目され、
世界で活躍するミュージシャン、アーティスト、俳優からジャンキーまで、
サロン化したファクトリーにはホモセクシュアル、乱交パーティー、ドラッグ、
麻薬の売人が横行、すでに無法地帯、悪の巣窟、アンディは差し詰め惡の華。
アンディは母ジュリアにアルコールと猫とテレビを与え、周囲と隔絶。
周囲には敬虔なクリスチャンの母ジュリアの存在を隠し通している。


又、アンディはネコ好きとしても知られている。
挿絵本『サムという名の25匹の猫と1匹の青いにゃんこ』(1954年)

 


今回展示されていないが、アンディの初期のドローイングの特徴が現れたサム。





これはサムでは無く、同時期に制作された「ピエールおじさんに似ている猫」。


アンディはもちろん結婚をしていない。
恋人の様な女性はいたが、彼の肉体的な特徴に詳しい人物からは、
アンディは女性とのセックスは低血圧だったので無理との証言。
バイセクシャルだったとも伝えられているが、おそらくホモセクシュアル。

まだアンディが売れる前、既に超売れっ子の小説家でゲイの
トルーマン・カポーティにファンレターを送り、
自宅まで会いに行っている。
後にカポーティはファクトリーの常連になっている。
ベルベットアンダーグランドのルー・リード、
ファクトリーに出入りする美青年、
晩年は最後の恋人と言われた、バスキアとは共同制作を行っていた。
ファクトリーでドラッグで身を滅ぼした人間は多いが、
アンディ・ウォーホルは多少あったものの、中毒には程遠い。
又、ホモセクシュアルとしてもハードゲイでは無く、
身体を寄せ合い、軽い愛撫、言葉、想像力で
精神的に昇華できる能力を持っていたのではと、思われている。
それはドラッグにも共通していて、
ドラッグを使用しなくても、それ以上の幻覚作用、イメージ、
高みに登れる特殊能力を持ち備えていたと憶測されるが、
それ以上にアンディは納得できないモノには一円たりとも

払いたくなかった、ましてや高価な薬物などには、
あくまでも周りの証言による推測だが。


スーパースターのプレスリーは多く描いているが、
ホモセクシュアルのアイコン的スーパースターは
やはりジェームズ・ディーン。

 


これは1957年に制作されたゴールド・ブックに収められた、
「理由なき反抗」のジェームズ・ディーン。

それから約30年後、1985年に制作された広告用の
麻にアクリル、シルクスリーン。

 


日本語のタイトルが付けられているが、
これは日本向けの宣伝ポスター?


これでようやく三分の一程度観覧。読まれる方の期待は無視して、
まだまだ続きそうなアンディ・ウォーホル・キョウト展の感想( ´艸`)。