私はどちらかと言うと犬派であった。
幼い頃、空前のペットブームが起こり、
貧乏長屋の玄関先でも犬を飼う人が多かった。

余裕のある家庭では犬種がハッキリ分かる犬。
隣の家では大きな秋田犬、斜め向かいの上品なご夫婦の家ではスピッツ。
少し離れたガラス屋はコリー犬、共に小さいながらも自営業の家庭。
その他の家庭は得体のしれない雑種である。
その頃のペットは今みたいにお金のかかるモノでは無く、
エサは基本人間が食べ残した残飯が主食だった。
このブームの一因はアメリカの人気テレビ番組で
登場する犬に由る事が大きかった。

そんな時、拾ってきたのかもらってきたのか、
茶色の子犬が我が家にやってきた。名前はロッキーと名付けた。
もちろん雑種だが土佐犬の血が入っているのか、頬が少し垂れていた。
犬小屋は親戚の大工のおじさんに残り物で作ってもらいタダだった。
学校から帰ってきて近くの公園の散歩に連れて行く役割が、
兄弟の間で取り合いにもなっていた。
飼いだして数週間が過ぎて、この日は私が担当で、
小屋から出して首輪につなごうとした時、待ちきれないのか、
ロッキーは一目散に公演を目指して飛び出した。
直ぐに追いかけたが、バス通りで急ブレーキと子犬の悲鳴。
路線バスに轢かれて即死だった。
犬小屋は数日間残されていたが、
見るのが辛くて母親に早く処分して欲しいと願い出た。
それ以来ペットなんか飼うものでは無いと思ってきた。

それでも25年ほど前、家内がどうしても犬を飼いたいと言い出し、
マンションで飼える範囲内で小型犬のパグを飼っていた。
どことなく昔飼っていたロッキーに似ていたが、
このパグは15年前に亡くなり、それ以降は飼っていない。

猫はと言うと余り接触は無かったが、40年ほど前、
吉田山の中腹に京大の学生運動の残党のたまり場のバーがあって、
私自身はノンポリだったが、文学好きの青年と飲み友達になり、
彼のアパートにも出入りするようになった。
その部屋に二匹の猫を飼っていて、あまり清潔にしていなかったのか、
猫の尿臭が気になり、そのアパートに出入りするのは直ぐにやめた。
それ以降、犬以上猫を飼ってみようとは思わなかった。

最近は陶芸を中断している加減で時間を持て余し、
若い時に接した音楽、映画、文学、
更に気になっていた作品などを掘り起こしている。

アメリカで50年代から70年代にビートニクと言う、
カウンターカルチャーの運動があった。
首謀者はアレン・ギンズバーグ、ジャック・ケルアック、
ウィリアム・バロウズ、日本ではあまり知られていないが、
ゲイの解放、反戦、マリファナ解放等の運動は、
ヒッピーや反戦活動家の重要な羅針盤となっていた。

又、過激な思想は国からは危険視されていたが、
その動きは多くの音楽家、アーテスト、文学者からは
注目され日本でも紹介され少しは知っていたが、
その一人のバロウズはアル中、ドラッグ中毒、同性愛、妻殺し等、
こんな破天荒な生き方と過激な内容は
二十歳代の影響受けやすい時に危険と感じ避けて通ってきた。

耄碌しだした70歳代になってようやく読んでみようと思っている。
1952年のデビュー作『ジャンキー』、ジャンキーとは麻薬中毒者。
この言葉はこれ以前にあったかもしれないが、
この言葉を世界中に広めたのは、この作品、バロウズの影響に間違いない。
代表作は1959年発表の『裸のランチ』。この作品は1992年に
映画監督クローネンバーグにより映画化されていて、これは既に観ている。

『ジャンキー』と『裸のランチ』を図書館で予約を入れるが貸し出し中で、
『内なるネコ』と『そしてカバたちはタンクで茹で死に』を取りあえず。

 

『そしてカバたちはタンクで茹で死に』は
ビートニクのもう一人の文学者ケルアックとバロウズの幻の共著。

『内なるネコ』彼の作品群からは異色な内容。
「ここ2、3年で、わたしは熱烈なネコ好きとなった。」
そう、バロウズは昔はネコを虐待していたらしい。
過激思想を持ったジャンキーのなれの果てが、
ネコを可愛がるはずは無いと思って読むと完璧に裏切られる。

この黒猫はフレッチ

晩年の生活で愛猫ラスキーとフレッチ、
数匹のネコとの生活が微笑ましく赤裸々に語られ、
犬よりネコの方が断然人間にとって良い側面を炙り出される。
愛しい思いが手に取るように伝わって来る。
読み終わった後、ネコの鳴き声、見る目が確実に変わった。
最終的に最後の友はネコ、そして急遽ネコ派、それとも吾輩は猫である( ´艸`)。


表紙のホログラムは角度を変えると、この様にフレッチが浮かび上がって来る。