ほぼ猛暑日が続く京都。この先一週間も同じようなモノ。
50年住み続けて、蒸し暑い京都は慣れていたが、
こんな劣悪環境は初めての経験かもしれない。
午前中になるだけ買い物を済ませて、昼間の撮影は当面NG.
7月25日は天神さんだった。昼間の門前市は到底無理、
しかし、この日は閉門が7時までに延長されるので、
日没の散歩に出かけた。すでに6時過ぎだったが、
一ノ鳥居ではまだ多くの露店商が後片付けをしていた。



弘法さんも天神さんも行かなくなって何年になるだろう。

 

 



昔は欠かさず両市、市内の骨董屋、古道具屋、
アンティークショップに顔を出すほどで、
余り買い漁るので、家内から「またガラクタばっかり買ってきて」
と言われるのが怖くて、家には持ち帰れず、
事務所の一画に私のコレクションコーナを作る程だった( ´艸`)。



そんな事もしなくなり30年はなるか?








最近は5時閉門の楼門が今日は7時まで。

 


潜ってすぐ左手の槐(えんじゅ)の花が咲き出していた。












三光門の方から地響き?












一ノ鳥居の掲示板、ホームページ上でも案内されていなかったが、
拝殿前で和太鼓の奉納演奏が行われていた。











子供たちが興味深そうに見入っていた。







あの出雲の阿国が歌舞伎踊りを編み出す前の、
「ややこ踊り」が奉納されたと伝わる拝殿前。



出雲国杵築中村の里の鍛冶中村三右衛門の娘であるクニは、
出雲大社の巫女となり、文禄年間に出雲大社勧進の為、
諸国を巡回したところ、「ややこ踊り」が評判となる。
当初は四条河原の仮設小屋で興業を行っていたが、
北野天満宮の神主に気に入られ、天満宮でも定期的に踊るようになる。
慶長5年(1600年)京都近衛殿においてクニと菊という2人が、
出雲国の「ややこ踊り」を演じた事が記され、
慶長8年(1603年)5月6日に女院御所で踊った記録も残っている。


初めは幼い少女2人の踊りであったので、
その幼さを強調して「ややこ」、「赤ん坊」踊りと呼ばれたのが、
その斬新な動き踊りは、その当時としては、
かなり過激で扇動的で、その熱狂的な人気からして、
エロティックな要素も兼ね備えていたような気もする?



私は演奏を聴きながら本殿周りをひと廻り。












演奏が終わり聴衆の拍手と共に、
折しもの突風に七夕の短冊が靡いていた。