三年ぶりの祇園祭の鉾が無事に巡行されたと思った矢先、
全国のコロナ感染者が過去最高の数値、何とも皮肉な事だ。
祇園祭再開の下に各地の祭りが再開の見込みだったが、
ここに来て暗雲が立ち込めている。

 



一週間ほど前、京都御苑の閑院宮邸跡まで散歩。












入り口の鉢植えの蓮が蕾をつけていた。












収納展示館は4月にリニューアルしているので、
上がり込んで「床もみじ」でも、と思ってみたが、
連日の酷暑、歩くだけでも汗、
クーラーがない館内は地獄、又の機会!









そんな戯け者の行動を見てか、
庭木の宗旦木槿が微かの風に揺られ、
高らかに笑っているようであった(-_-;)。




そのリニューアルの同時期に、近くの拾翠亭も改修工事を終え、
ブログ友の方が紹介されていたので気になっていた。
しかし汗だくの身体で上がり込む事は出来ず、
こちらも又の機会!



写真下に赤い花が少しだけ写っているが、
これはサルスベリ、




市内の街路樹、個人宅の庭木のサルスベリは
どこも見頃を迎えているが、
何故か京都御苑のサルスベリは例年咲くのが遅い?

 



こちらも全く気配も無いが、多くはこんな感じだった。

この夏は宗旦木槿をよく見かける。
小さな旅館の入り口、個人宅の庭先、先日の上七軒歌舞練場。
先ほどの閑院宮邸跡。

となれば見落としていた場所があった。
千宗旦に纏わる稲荷社に咲く宗旦木槿。
随分前に人気ブログで掲載されていて、
機会があれば拝見しようと思っていた。

よく知られるように千利休の孫にあたる千宗旦は、
一時断絶した千家の再興を図り、
今日の茶道文化の礎を作られた茶人だが、
宗旦が好んで用いられた茶花が宗旦木槿と呼ばれている。

 



場所は何度の訪れている相国寺境内。

鉢植えの蓮がもう咲いている頃だと思ったが、
殆ど咲いておらず、











大雨の後の相国寺の放生池。











今なお継続して池の蓮の花が、












その背後、法堂前の盛土は何故か秋の気配?











鐘楼近くに祀られていると聞く宗旦稲荷社。





この手水舎の幅は僅か50センチ程?
こんな小さな手水舎は見た事も無い
大人の人間が使用するのには小さすぎる。



これは謂れの白狐の為のモノ?

 

 

 

 

 




となるとこの先の小社が宗旦稲荷社?



弁財天を祀っておられるので違う!











辺りを見渡し、鐘楼の北裏に参道を発見。

 

 

 

 

 




ここには宗旦狐の面白い故事が伝わってる。

 



江戸時代の初め頃、相国寺境内に一匹の白狐が住んでいました。
その狐はしばしば茶人・千宗旦に姿を変え、
時には雲水にまじり坐禅をくみ、また時には寺の和尚と
碁を打つなどして人々の前に姿を現していました。
宗旦になりすましたその狐は、
近所の茶人の宅へ赴いては茶を飲み菓子を食い荒らすことがたびたびでしたが、
ある時、宗旦狐は相国寺塔頭慈照院の茶室びらきで、点前を披露していました。
驚いたことにその点前は実に見事なもので
、遅れてきた宗旦はその事に感じ入ったといいます。
これも、宗旦の人となりを伝えた逸話です。
その伝承のある「い神室(いしんしつ)」は現在でも慈照院に伝えられています。
茶室の窓は、宗旦狐が慌てて突き破って逃げたあとを修理したので、
普通のお茶室より大きくなってしまったとのことです。
宗旦狐は店先から油揚げを盗み、追いかけられ井戸に落ちて死んだとも、
猟師に撃たれて命を落としたとも伝えられています。
化けていたずらをするだけでなく、
人々に禅を施し喜ばせていたという宗旦狐の死を悼み、
雲水たちは祠をつくり供養しました。
それが今でもこの宗旦稲荷として残っています。


念願だったお詣りも済ませて、
肝心の宗旦木槿は?

 



その周辺を探し回ったが、唯一花を言えば、
木槿では無く、枯れて残った一輪の白い芙蓉だけ。
どうも宗旦狐にそそのかされたようだ( ´艸`)。