最近の事だが、梅雨の時期に真夏並みの気温になる。
少し前に梅雨らしい雨が降ったが、その一回きりで、
やはり全国的に真夏の気候になっている。
京都市にもこの一週間先に雨マークは確認できない。

十日ほど前に明智光秀ゆかりの坂本の西教寺に伺った。
本当はその一ヵ月前に伺う予定だったが、
イベントの様な事が行われていて、
境内は多くの風車に埋め尽くされ、
私の目的である庭園撮影が真面に出来ないので、
イベント終了後の翌日に伺った。

庭園の風車はほぼ撤去されているが、
早く訪れた事もあり、
境内ではまだ撤去作業が行われていた。



なだらかな山肌には多くの塔頭寺院が連なっていた。






中腹の宗祖大師殿唐門から琵琶湖を見渡すと、
対岸に近江富士が見える。

 


滋賀県大津市坂本は日吉大社および延暦寺の門前町。
織田信長による比叡山焼き討ちの後、
近江国滋賀郡坂本は明智光秀に与えられ、
光秀はこの地に坂本城を築く。
光秀は坂本城と地理的にも近かった西教寺との関係が深く、
寺の復興にも光秀の援助があったと推定されている。
光秀が戦死した部下の供養のため、
又、境内には光秀の供養塔、妻・熙子、一族の墓が建立されている。


本堂前ではイベントの大道具を
多くの作業員が忙しく撤去していたので撮影は諦めた。
その傍らには妻・熙子、一族の墓、
二十五菩薩が建立されていた。



目的である庭園をするために建屋内に上がる。
大本坊庭園は江戸時代初期の枯滝様式の枯山水庭園。
約2mもある立石を中心に、全体に多くのの脇石を配置。

 

 

 

 

 

 

 

 



大胆な沓脱ぎ石、大小の飛び石が豪快に置かれ、
全体的に大小のサツキと苔を主体とし、
飛び石が茶庭式露地にも感じられる。










背後に聳える屋根が本堂である。












伽藍は特徴的な回廊にて結ばれている。











今回の第一目的はその背後の客殿の
小堀遠州作の池泉鑑賞式庭園である。











その回廊の間にも興味深い坪庭が確認されたが、
ここでも作業員が作業をなさっていたので、
後で必ず撮影しようと思っていたが、

 

 

 

 

 

 

 

 



客殿横には露地庭風の庭園。











小堀遠州によって江戸初期に作庭された客殿庭園。











客殿から眺める池泉観賞式庭園となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



裏山の急傾斜の山畔部を活かした地割りであり、












中央の池泉は琵琶湖をかたどった瓢型。
出島を設け、多くの石灯籠が立てられていた。

 

 

 

 



池泉には舟石を配して、

 


 

山畔の下部と池泉との間に石組が組まれていた。











書院庭園は明治初期に作庭された枯山水庭園。






坂本の近くに住んだいた寺院や城の石工集団の
穴太衆(あのうしゅう)によって、

 

 


この坂本地域に多く築庭された庭園の中の一つで、
穴太式庭園(あのうしきていえん)とも言われている。











更にその反対側には西教寺を中興させ栄えさせた
宗祖・真盛上人の500回忌大法会記念行事として
平成元年に作庭された池泉鑑賞式庭園。










細長い敷地を利用して枯流れも作られ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 



珍しい空間構成をなしていた。












小堀遠州の庭園しか頭に無かったが、
実際多くの特徴のある庭園に遭遇して頭がこんがらがって、

後で撮影しようと思っていた、
回廊間の坪庭をすっかり忘れてしまっていた( ´艸`)。