2、3日前に京都は真夏日の炎天下を迎え、
これから撮影には厳しい気候になると思っていたが、
意外と雲の多い日が続いている。

東福寺の塔頭寺院の五大堂同聚院。
何度も前を通っているが、
山門脇の花壇に意外な花が咲いている。



何気なく山門を潜った事があるが、
全くこのお寺の事は知らない、そしてこの白いバラ。







「モルガンお雪」の話はどこかで耳にした事はあるが、
五大堂同聚院にお墓が建立され、
それに因む白いバラが「ユキサン」と名付けられている。



明治期、祇園の芸妓で胡弓の名手として知られていたお雪。
アメリカの大富豪J.P.モルガンの甥、
J・D・モルガン氏が祇園に立ち寄った時にお雪に一目惚れ。
プロポーズをするが、なかなかお雪は首を縦に振らず、
最終的に莫大な身請け金が提示され、結婚する運びとなった。
当時お雪には京都帝大卒、10歳年上の恋人がいたが、
お雪は金で身を売った芸妓として新聞等の格好の的となり破局。
又、祇園でお茶屋遊びをしていた日本映画の父・牧野省三も、
芸妓お雪を懇意にして恋心を抱いていたが実らず。
しかし、ちゃっかりと経緯を芝居に仕立て、
自身の芝居小屋「千本座」で上演、大ヒットさせている。

その為にお雪は自殺を図るほど追い詰められが、
そんな時、菩提寺である同聚院の住職は、
不動明王のご鎮座される五大堂でしばらく籠る事を勧め、
しばらくしてお雪は世間の冷ややかな視線と決別し
自分の事を一途で真摯に接してくれるモルガン氏の愛に気づき、
無責任な周囲の声に振り回される事なく、
当時では難しかった国際結婚を決意し、ニューヨークに渡った。
宗教の違い、人種差別の強かった現地での苦悩は計り知れないが、
アメリカ、フランスの社交界で遺憾なくその器量を発揮し、
日本人女性が国際社会に通用する事を知らしめる事となり、
そう言った意味では国際社会進出の魁と言える女性である。



境内はそれ程大きくはない。
正面は不動明王坐像を安置する五大堂。



朱の鳥居が並ぶ先が鎮守社のようだ。












その背後には休憩できるベンチが置かれていたが、
その間に1坪ほどの小さな池。











老眼の目を凝らして見ると、
早くも睡蓮が咲き出していた。












白いバラでもありがたいのに。。。













ピンぼけだが紫のホタルブクロも咲いていた。












いつの間にか睡蓮が咲く季節となり。

 

 

 

 

 

 



1963年5月18日、81歳でお雪はその生涯を閉じるが、

 


三回忌の際にはパリ市から京都市へ白バラの献花が行われ、
それは世界屈指のフランスのバラの名門であるメイアン氏が
お雪を慕って開発した新種で、その名も「ユキサン」。





少し足を延ばして臥雲橋。
鬱蒼と生い茂る木々に僅かに見える通天橋。

 


すでに約2000本の楓が新緑から青もみじ。
谷底の洗玉澗も僅かに確認、紅葉が楽しみ。