私は京都に50年ほど住んでいるが、
京都駅にはあまり縁が無い。
二十歳代、実家の尼崎に帰る時は阪急線を利用していた。
実家は阪神尼崎駅と国鉄立花駅の真ん中あたり。
阪神と国鉄は徒歩で15分程度でバスなら5、6分。
阪急はバスでも40分以上はかかる。

阪神は梅田で阪急か国鉄に乗り換える。
阪急は十三か梅田で京都線に乗り換える事になるが、
唯一国鉄だけが一直線で京都に着く。
それが最も早いが、当時の国鉄の駅舎はどこも寂し気で、
率先して利用したいと思った事は一度も無かった。

高校の時、よく神戸の街をふらついていたが、
阪神電鉄が最も早くて便利だったが、
敢えて一番時間のかかる阪急神戸線を利用していた。
毎週日曜日、特別な用事が無ければ月4回欠かさず。

それは尼崎は公害の街として知られていて、
空気、河川汚染が受験勉強より気になっていた私は、
自然志向が強く、少しでも緑地帯の多い阪急神戸線、
夙川駅、芦屋川駅、岡本駅、御影駅を通過して、
高校時代のワンダーランドの三宮、トアロード、
高架下、元町商店街に通じる為のルーティンだった。


それ故か、国鉄、現JR京都駅を利用したのは極僅かで、
殆ど覚えている。それもあまり良い思いでは無い( ´艸`)。
京都駅は平安遷都1200年記念事業として計画され、
完成は1997年、既に25年経っている。

そう云う事もあり、
新しい京都駅ビルに足を踏み入れたのは確か二年半前だった。



安藤忠雄、黒川紀章、原広司など、
日本を代表する建築家と海外の建築家と
計7名による国際指名コンペによって争われ、
原広司案が採用されている。


原広司はもちろん日本を代表する建築家の一人だが、
50年ほど前に知った頃は個人住宅で注目されていて、
伊藤邸、粟津潔邸、原邸、倉垣邸の数々。
まさかそんな彼が巨大建築物を手掛けていたとは、
最近まで知らなかった。梅田スカイビルも彼の作品となる。
地上16階、地下3階、東西方向に500m、高さ60m。


二年半前にも撮影していたが、
その頃は中央コンコースは外国人観光客が溢れかえっていて、
嫌な思い出と途轍もなく寂しい駅舎しか知らない私は、
この近代的な建物とグローバル環境に驚きは隠せなかった。

 



天井は鉄骨トラストと約4000枚ものガラスが
覆うアトリウムの超巨大空間。






まさかその後コロナ禍で
こんなにも閑散とするとは誰が予想できたであろう!



みんなが浮かれているように見えて、
特に中国人観光客は元気よく燥いでいるようであった。







施設には公共広場的な空間が六か所も設けられているらしい。



確かこの辺りには女性好みのチャペル風の空間が
あったような気がするが?







ゴールドの鐘は残っていたが、

 


そこにはインスタ映え写真を撮る為に群がる、
中国人観光客は居なかった。











 

 

 

 

 

 

 

その北側のガランとした鉄筋コンクリート造の空間には、
立派な京都駅ビルの模型が展示されていたが、

 


日本人の姿さえも確認できず、

この日は特に只々寒々とした冷凍庫のようだった。





このピアノはストリートピアノとして、
誰でも演奏することが出来るらしいが、

 


以前は旅のひと時を演出する舞台として
活況を呈していたと思うが、今は観客は京都タワー独り、
もちろん演奏者は不在、夢の跡?



そしてこの巨大なエレベーターは、
まるで1927年制作されたフリッツ・ラング監督の
近未来を描いた『メトロポリス』で登場する、
労働者階級が吸い込まれていく階段のようだ。

 



広大なスケールと映像テクニックは
『月世界旅行』と並ぶSF映画黎明期の傑作。
多くのその後の近未来の作品に影響を与え続けた作品。






エレベーターを上がり、
空中回廊を進むと高層よりの京都市全貌が見渡せる。

 

この方角は観光とは縁の薄い南部地区。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



建築好きにとってはこの上も無い至福の空間でもある。











屋上には竹を利用した「バンブーガーデン」が造られている。







これはやはり近未来の建造物なのだろう!

どこか『未来世紀ブラジル』の街風景に似ている、

 


超高層ビルが乱立し、すり抜ける空飛ぶ車、
至る所にデジタル広告を映し出す巨大モニター、

 

 

 

 



あのモンティ・パイソンのテリー・ギリアムが監督して、
1985年に公開された『未来世紀ブラジル』。

 


管理社会が進み、情報統制がなされる未来の皮肉であって、
警告でもあるが、テリー・ギリアム監督が今制作するとしたら、
キット『未来世紀中国』として仕上げるのではないだろうか( ´艸`)。





『未来世紀ブラジル』にはもう一つの意味があって、
ブラジリアはブラジル現在の首都だが、
旧首都であるリオデジャネイロから1960年に遷都された、
新しく計画された都市で、優秀な人材と緻密な計画、
莫大な費用がつぎ込まれた世界最大の計画都市として
建築関係者から注目されていた。

 



ところが実際市民生活を送るには不便、
対照的に周囲の衛星都市は無秩序に発展するが、
土地の不法占拠など半ばスラム化する等、
結局、計算尽くされた未来の大規模な都市計画は失敗に終わり、

どれだけ完璧に未来都市を作っても、そこには落とし穴があり、

実際の都市生活者、人間の生命体は不可解で予測不能、

計算通りに行かない事を証明してしまった。

この結果は都市計画に興味ある者にとっては残念だったが、

どこか安堵を感じたのを憶えている。


ガラス越しにくすんで見える京都タワー。

 


そう言えば、京都タワーは一度も上った事が無い。
多分、もうそろそろ冥途も近くなる頃だし、
土産としても良さそうだ( ´艸`)。