日本語ほど難しい言語は無いかもしれない。
ひらがな、漢字、カタカナ、現在は英語が日常会話でも
必ず入って来る、はたまたギャル語まで?
ところが何となく使っている日本語に疑問を感じる事がある。
「おこがましい」には一般的な、
「身の程をわきまえない、差し出がましい、なまいきだ」と、
「いかにも馬鹿々々しい、馬鹿げている」と云う意味もあるらしい。

古語「をこがまし」に由来し、漢字では「烏滸がましい」と表記。
「烏滸」とは平安時代には散楽、
特に物真似や滑稽な仕草を演じる人を指すようになり、
後に散楽は「猿楽」として寺社や民間に入り、
その中でも多くの烏滸芸が演じられたらしい。

平安・鎌倉時代の説話集には烏滸話と呼ばれる滑稽譚が載せられ、
また、嗚呼絵(おこえ)と呼ばれる絵画も盛んに描かれ、
『鳥獣戯画』や『放屁合戦絵巻』がその代表的な作品になるらしい。


南北朝・室町時代に入ると、
「気楽な、屈託のない、常軌を逸した、行儀の悪い、横柄な」など、
より道化的な意味が強まり、
これに対して単なる愚鈍な者を「馬鹿」と称するようになるが、
江戸時代になると「烏滸」と云う言葉は用いられなくなり、
「馬鹿」という言葉が広く用いられるようになったらしい。
と云う事は「烏滸」と「馬鹿」は義兄弟になるのか?


またまた、他愛無い出だしで始まったブログ。
これは、これと云う特筆すべき素材が無い事の証である( ´艸`)。

 


冬枯れの真如堂の赤門。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



少なくとも水仙が咲いているのではないかと潜る。












先日の下鴨神社の「光琳の梅」同様、
一瞬フライングと思ったが、
ギリシア神話のエピソード、
ナルシストの化身の水仙は陽光に照らされていた。

 

 

 

 

 






咲き出したばかりなので、今はまばらだが、
この一週間ほどで一面が水仙畑となるのでは。。。











経堂周りの紫陽花は枯れて刈り込みがされ、
楓も枯れ細った枝を露出気味。











冬枯れて 人も訪れず 陽傾き

眩しがる木々 泡沫の暖
 





帰りに手水舎に立ち寄ると、
水仙だけでも十分だと思っていたのに、
手水舎には椿と山茶花が生けられれいた。



おそらく塔頭内で咲いていたものを採取されたのだろう。