毎年恒例の「京の冬の旅」が開催されている。
何度も目にするものもあるが、
今回の注目は何と言っても40年ぶりに公開される、
西陣の興聖寺の「降り蹲踞(つくばい)」。

私もこの地に古いお寺があるのは知っていたが、
具体的な事は全く知らず、ネットで調べてみたが、
ネット文化が始まってからは一般公開されていないので、
殆ど詳しい事は解らないまま、先日伺ってきた。

興聖寺は慶長八年(1603年)に、
虚応円耳と云う、日蓮宗の僧侶を開山として、
大名茶人・古田織部により創建と伝わる。
1701年より日蓮宗から禅宗へと改宗。
1788年の天明の大火で焼失し、その後再建。
1887年に臨済宗相国寺派に改めたが、
1948年には臨済宗興聖寺派本山として独立。
又、いつからか知らないが「織部寺」の通称を持つ。

開祖の虚応円耳の呼び方は、
興聖寺側は(きいんえんに)、Wikipediaでは(きおうえんに)、
又、別の出典では(こおうえんに)と表記されている。
ともかく日本の漢字の読み方は複雑で難解、
只でさえ覚えられないのに、もう少し過去の賢人達は
使いやすく改良できなかったのか、と思ってしまう( ´艸`)。



正面の本堂の天井には「雲龍図」が描かれ、
本尊・釈迦如来像、武将・藤堂高虎の寄進と伝わる
達磨像が安置されている。

 

 



本堂(元の仏殿)以外は、
天明の大火で焼失した後に再建されているので、
元の伽藍は大きく変更されていると思われる。



建物の拝観入り口で屋根瓦を頻りと撮られていた先客?







見上げてみると天女の様な仏様?

 


何か謂れがありそうだが不明。







本堂内の撮影禁止なので、
拝観を終え、方丈の間に移動。



斬新な襖絵?では無くて写真家・杏橋幹彦氏の
海中写真を襖仕立てにしている、奇抜な襖。





天井にも最近のモノと思われる、
四季の色彩が描かれている。



冬の雪、











春の桜、










夏の竹、












秋の紅葉、





その方丈の南と西に江戸時代に作庭されたと伝わる、
平坦な庭園と西側には築山と池が配された池泉鑑賞式庭園。
ここに例の「降り蹲踞」があると思い探してみたが見当たらず、
別の場所だと分かり移動。

 


しかしこの西側の庭園は少し異様で、
形式的には今まで見た事の無い様式だったので、
後日、興聖寺の庭園考で紹介したいと思っている。










方丈の奥に進み、渡り廊下に差し掛かると、
壺庭、それより大きい10畳ほどの中庭。












思ってたよりはるかに大きい。







地面を深く大きく掘り下げた、
螺旋状の石段を降りた先に手水鉢を据えた「降り蹲踞」。



興聖寺は1788年の天明の大火で焼失し、
本堂以外は新しく再建された建物だが、
庭園の石組と築山は創建当時の遺構と思われるので、
「降り蹲踞」は創建者の古田織部作と伝わる。




後に古田織部は利休七哲の一人となり、
利休亡き後、武士好みの茶道、大名茶を確立し、
秀吉・家康の茶堂、徳川秀忠の茶の湯指南役、織部流茶道の祖。



しかし織部の個性が際立つのは織部焼に見られる、
茶器の形が歪む「へうげもの」。
千利休の茶の湯の教えを最も受けているが、
利休の閉塞的な茶の湯を否定するかのように、
大胆な茶道具、明かるい多窓形式の興福寺八窓庵、藪内家燕庵、
自宅においても通常人では思いつかない、造作をしていたと伝わる。



「降り蹲踞」の様式を残す庭園は日本全国でも極僅かで、
大徳寺の塔頭・高桐院の庭園にも残されているが、
これ程までスケールの大きい遺構はここだけと思われる。

 



この異様な「降り蹲踞」については
古田織部作ど断定できる記録はなさそうだが、
ならばこれ程奇抜で大胆な造作を出来る数寄者が
他に思いつく方がおられるのなら是非とも教えて頂きたい?



小堀遠州について何度か急進的、前衛的、革新的、
アバンギャルドなデザイン性について触れた事があるが、
遠州の師である古田織部こそが戦国時代を駆け巡った、
真のアバンギャルドな数寄者で、彼でしか成し得ない創意工夫が、
ここには残されているような気がする。



この陶器製の手水鉢は近年のモノと思われるが、
当時はどのようなモノが使われいたかと思うと。。。












小振りの灯籠はやはり織部灯籠。

 

 

 

 

 

 

 

 





「降り蹲踞」はおそらく単独で成立していたとは思いづらく、
渡り廊下の西に残されている平庭の一部分ではないだろうか?






出来るものなら降りて手を付けてみたかったが、
久々に感動を覚えた遺構であった。



今回紹介できなかった方丈の庭園と2、3庭園については
改めて後日紹介したいと思っております。