昨年から清滝に積極的に来るようにしている。
忘れられた京都の避暑地の供養と、
出来ればこの地が大学生や文人たちに愛された、
観光地として蘇らないかと言う、想いもあって。。。

昨年の秋は時期が遅かったのか、
すでに辺り一帯は晩秋の趣だったので、
今回は前回より十日ほど早くやってきた。



清滝川の畔に降りて見渡すが、
昨年とあまり変わり映えしない?











今年は紅葉直前の雨が少なかったので、
それも影響しているのか?






清滝川の巨岩越しに、
数年前に閉鎖された旅館ますやを見上げるも。。。



この一帯が寂れたのは
第二次大戦で不要不急線と指定され、
清滝までの線路が軍需物質不足に伴いレールを軍に供出し、
清滝から愛宕山の愛宕神社に繋がる、
ケーブルが廃線してしまった事が大きいのだろう。


江戸時代、庶民の間で「‘お伊勢
七度、熊野へ三度、愛宕さんへは月詣り’」とまで詠われこの地だが、
今は誰も知らないのだろう。

辺りを一回りして
愛宕神社登り口の鳥居横の元ケーブル清滝川駅跡。

 



もう誰も乗せる事が出来ない元ケーブル駅から光景は
その時とあまり変わっていないのだろうか?











旅館ますや前の渡猿橋にも猿が渡る事もないのだろうか?












錦の紅葉光景を撮るつもりで来たが、
今回もダメだった、又、来年に持ち越しだ( ´艸`)。






かつて三高 (京都大学の前身) の学生達が遊学に興じ、
与謝野晶子と鉄幹が常宿とした旅館ますや。



作家では織田作之助、梶井基次郎、三好達治、荒木文雄、
政治家では濱口雄幸、幣原喜重郎、片山哲といった総理大臣経験者、
後にノーベル賞を受賞した湯川秀樹や朝永振一郎、江崎玲於奈など、
多くの文化人や財界人が訪れたのに、
その時の清らかな思い出は何処に消え去ったのだろう。








この日は陽気が良かったので、それが救いだ。












清滝トンネルを目指すこの坂の途中に、
私の清い思い出が眠っている。






こちらも随分前に廃業している小料理屋の"くれない茶屋"。



もちろん再開されるはずは無いが、
いつも気になっている、どこかで再開を願っている。


晶子鉄幹 あそぶ清滝 今はなく
暮れない時に 思いを込める




清滝トンネルを抜けて数百メートルで嵯峨鳥居本。



清滝から高々一キロしか離れていないのに、
この艶やかさ。。。










本来、愛宕詣での一之鳥居。
江戸時代から変わらない風情で寂れていても良さそうなのに、
こんなにもこんなにも艶やか。。。

 

 

 

 

 






この時期から嵯峨野方面は紅葉真っ只中、