夏の鷹峰は観光のオフシーズンだが、
例年この時分から秋にかけて徐々にピークを迎える。
しかし残念な事にコロナ禍続いているので、
考えられ位にこの界隈は閑散としている。

その上、悟りの窓・迷いの窓で名を馳せている源光庵が、
2019年6月1日より庫裏改修工事の為、拝観を長期休止中なので、
より一層静まり返っている。



それでも私の好きなススキが咲く頃なので、
門前にやってきた。




1346年に臨済宗大徳寺二世の徹翁義亨国師の開創によるも、
1694年に加賀国大乗寺27代曹洞宗復古道人卍山道白禅師が住持せられ、
中国の禅宗五家1つの曹洞宗に改宗されている。
正式には鷹峰山寶樹林源光庵と云う。

 



明日は中秋の名月だが、
昨日は既に東山に大きな満月がお出ましなっていた。







源光庵の山門にも昼間から満月が登場する!
それも双子の満月である!?



もう少しススキが伸びていれば、
お月見となるのであるが( ´艸`)。。。








もちろん山門を潜る事は出来ないが、

 


本堂横の大きな楓の上部が僅かばかり赤味を帯びていた。













源光庵を数分歩くと光悦寺の参道。













と言っても紅葉の気配は微塵も無い。












殆どは夏と変わらず青々としているが、
一ヵ月もしない内に一変する。







この界隈の散歩は、いつも源光庵を戻った先の常照寺の吉野門で終える。



常照寺の開基は琳派の祖と呼ばれる本阿弥光悦。
光悦、俵屋宗達らと共に洛北鷹峰に移住し、
さまざまな分野の職人、芸術家を集めて作った芸術村、
光悦村創設してから400年以上になる。

弁柄(ベンガラ)の山門は吉野門と呼ばれ、
二代目吉野太夫が23歳の時、巨財を投じて寄進したものだ。
よく吉野門の記事で朱色と紹介しているが、
神社の鮮やかな朱とは違う、ベンガラ格子と同じ少しくすんだ赤だと思う。



吉野太夫こと松田徳子は京都の方広寺近くに生まれ、
7歳で遊里の島原に預けられ、14歳で二代目吉野太夫の名跡を継ぎ、
そして美しい容姿の上、茶湯や華道、香道、書、俳句、和歌、
三味線、囲碁の諸芸に秀で、情に厚く品性を備えておられたそうだ。
才色兼備を称えられ国内のみならず、遠くは明国にまで知れ渡り、
井原西鶴の「好色一代男」に取り扱われる程で天下の名妓と賞賛された。
馴染み客には後陽成天皇の皇子で近衛信尹の養子である関白近衛信尋や、
当時の文化人の一人である灰屋紹益もいた。
後に退廓し、26歳の時、灰屋紹益と結婚している。

 

 





ようやく京都の1日のコロナ感染者が100人を切る所までいったが、
紅葉シーズンまでこのまま感染が抑える事が出来れば、
この界隈も少しは慌ただしく、賑わいを取り戻すのだが。。。