いつもの様に朝食を頂きながらネットニュースを見ていると、
国立極地研究所がオーロラ帯の過去3000年間の変化を解析した処、
日本から最も見えやすかったのは鎌倉時代の1200年頃だったとし、
藤原定家の『明月記』に残した「赤い光」の目撃時期と合致すると云う。
『明月記』とは小倉百人一首の選者として知られる藤原定家による、
18歳(1180年)から73歳(1235年)までの56年間にわたる自筆日記だが、
それによると1204年2月の2日間、
京都の夜空に「赤気」(空の赤い光)が現れ、
「山の向こうの火事のようだった」という趣旨の記述があるらしい。
その当時、この京都でオーロラが観る事が出来たとは誠に驚きである。
そんな驚きは一先ず置いといて、
やってきたのは寺町通りの本満寺。
もちろん今はしだれ桜は青葉が生茂り、
背後の庫裏はスッポリ覆われている。
右側に赤い実が見えるが?
柿の実より柿色をした柘榴?
そう言えばこちらにも本堂横に萩の花が。。。
この一角の僅かだが、
先日の梨木神社よりも多くのモンキチョウと
5ミリにも満たないライトグレイの蝶が乱舞。
近づくと飛び去るので少し離れた処から、
望遠で機関銃のようにシャッターを切る。
風の思いか、気まぐれか、ここかと思えば、
瞬時に移動してあちら、闇夜に浮かぶ蛍のように。。。
静止した状態で撮影をしていると、この時期は必ずヤブ蚊が寄って来る。
最近意に反して本を読む事になり、目に見えて視力は急降下しているが、
ヤブ蚊は何故か若い頃よりよく見え出している( ´艸`)。
ヤブ蚊を避けるためにこの場を去るが、
参道脇の足元には水仙が微笑ましく笑っていた。
結局、蝶の乱舞は撮れず仕舞い、撮影技術進歩無し( ´艸`)。
本堂前にはこの時期の花、酔芙蓉が咲き出していた。
本堂屋根の獅子は初秋の空に浮かれて逆立ちをし、
酔芙蓉の薄ピンクと濃ピンクが花を添える。
最も好きな色は杜若の青紫だが、
この薄ピンクは何故か興奮を覚えるほど好きな色である。
その次が純白のホワイト?
少し時間を置いて再び萩の前、
蝶の乱舞の撮影を仕切り直そうかと思ったが、
肝心の蝶がいない!いつもの事である( ´艸`)。