この数か月、老眼の目を酷使して本を読んでいる。
キッカケは小堀遠州の庭園を考察していて、
どうしても取り沙汰される桂離宮で立ち止まり、
桂離宮の成立を探るため源氏物語にも興味を持ち、
図書館を行ったり来たり、
最後の道楽と決めた陶芸も三ヵ月も御無沙汰している。


京都市図書館の桂離宮に関する書籍、写真集は120冊にも及ぶ。
流石に日本一の庭園とあって多くの人が取り上げ、
庭園研究者、建築家以外でも、美術、歴史、社会学者、
あの無頼派の坂口安吾でさえ取り上げている程。
今でようやく25冊程は読み終えた。
全て読破したら一端の研究者になれるのか( ´艸`)?
勿論そんなにも学問、研究は甘くないと分かっているが、
ともかく面白いから、次から次と疑問が湧いてくる。

しかし自身の視力はサプリメントと目薬で現状維持しているので、
読書が続くと明らかに視力が落ちていくのが分かる。
その為にも写真集、DVDなどを挟んで変化を付けている。

 



先日借りたこの「月の桂離宮」は月を捉えた写真集。
これまで多くの写真集が刊行されているが、夜景の桂離宮、
それも満月を映し出した写真は初めての試みでは。。。

写真家・三好和義による「月の桂離宮」は2009年に刊行されているが、
それまでになぜ桂離宮の月の写真集が
刊行されなかったかの方が実は不思議である。

桂の地名は奈良時代未開の原野であった土地を、
大陸からの帰化人である秦氏が開拓し、
中国の故事「月桂」、月に生えているとされた不老不死、
永遠の生命の象徴のカツラの木から命名された云う。
まさしく月の名所にふさわしい地名と言えよう。

源氏物語、土佐日記等の古典文学の多くに月の名所として
桂の地が取り上げられ、現在の桂離宮の敷地には
平安時代に栄華を極めた藤原道長の別荘「桂家」造られ、
観月の為の楼閣が建てられていたと云う。



中身の写真を紹介すると作者の営業妨害になるので、
差し支えの無い表紙、扉の部分だけにしております。




B5判/64頁、

 


NHK「桂離宮 知られざる王朝の美」を収録したDVDが付いている。



八条宮智仁親王がこの地に別荘造営の理由として、
源氏物語の第十八帖「松風」の桂川の畔に光源氏が造った桂殿。
第二十一帖「少女」四季折々の町を配した理想郷・六条院。
第二十五帖「蛍」などが主な要因とされているが、
現在私は些かこれらに疑問点を感じているので、
今回は写真集に合わして月にまつわる事柄を僅かばかり考察。

桂離宮には茶席「月波楼」、古書院「月見台」
月見橋、歩月、浮月の手水鉢、
又、月の字の引手、月の字崩しの欄間、歌月の扁額など、
月にまつわる名称と意匠がスゴク多い。
更にメインの書院群は観月に適した角度への配置、
月を眺める為に極めて短い軒先、


平安王朝から花鳥風月を題材にした和歌の内、
やはり月に因んだ歌が最も多く、
それほど宮中における月の存在は
欠かす事の出来ない存在であったのだろう。
それは七百年後でも変わる事は無く、
智仁親王が桂の地で詠まれた「桂古歌」二十五首の内、
月について詠まれた和歌は十六首に及び、
並々ならず月に想いを寄せていた事が窺い知れる。



古書院控えの間、 広縁、 そこから張出された月見台の竹縁、 
そこからの庭の眺めを「泣きたくなるほど美しい」と称賛したのは、
ドイツの建築家ブルーノ・タウトだが、
この時勿論月を眺める事もなく、この言葉が発せられたのだが、
もしタウトが中秋の名月に招かれていたら、
十五夜の月が煌々と池を照らす時、
月見台の竹縁は蛍が飛ぶかのように輝き、
双子の月は水面に漂い、ともすると風に揺れ動く。

そんな光景を目にしたタウトは恐らく称賛の言葉は見つからず、
只々、唖然として発狂するのを押し殺していたのでは?
もちろんルナティックのせいも考えられなくも無い( ´艸`)。。。