昔、京都の「野」が付く地名の多くは風葬地だったと言われている。
前回紹介した千本えんま堂の「蓮台野」、化野念仏寺の「化野」、
そして六道珍皇寺の「鳥辺野」は平安京の三大風葬地であった。
東山の鳥辺野の入口の「六道の辻」は、
あの世とこの世の境目だと信じられてきた。
当時貴族など一部の人を除いては、
人が亡くなると遺体は野辺送りとなり、
葬儀の参列者は六道の辻で死者との最後の別れをした。



「精霊迎え〝六道まいり〟」が行われていた最終日、
何十年ぶりかに六道珍皇寺に訪れた。











私は京都は地元では無いので、六道まいりは初めてだ。







行事が行われている事もあるが、
30年ほど前の六道珍皇寺の印象とかなり違う!?

 



当時、企画制作事務所なるものを生業にしていて、
ちょうど荒俣宏の帝都物語がヒットして、
魔界都市東京が注目を浴びていた頃で、
担当していた旅行雑誌で魔界都市京都的な異例な企画が通り、
その関係で一度だけ訪れていた。


私自身は零細事務所の地獄のような資金繰りで、
実質この編集企画には直接携わる事は無かったが、
冥界の主、閻魔大王が生で拝めるとの事で、
運転手として記者とカメラマンに同行した。

その他魔界スポットは十数か所あったが、

付き合ったのはもう一ケ所の清明神社だけで、

後は若いスタッフに任せていた。



私が京都の情報誌をやりだした40年以上前は、
アンノン族による観光ブームが過ぎ去った後で、
観光地は長らく大寺院以外はどことも閑散として、
もちろんこの時は平時ではあったが、
取材関係者以外は誰一人境内にはいなかった。



こちらのご本尊は薬師如来、閻魔大王様では無い。
意外な事に禅宗の臨済宗建仁寺派の寺院で、
元々は真言宗の総本山・東寺に属していたらしい。





当然、「小野篁冥土通いの井戸」を記事にしている筈だが、
その井戸を拝見したかどうかは記憶に無い。

 


ちょうどこの写真の右側の受付の切れ目から井戸が見えるたが、
大きくは無いが手入れの行き届いた庭園の奥に、
「小野篁冥土通いの井戸」が確認された。

 

この写真はネット上より拝借。


2011年、境内北の民有地跡より小野篁ゆかりの井戸が発見され、
新たな井戸は「黄泉がえりの井戸」として公開されているらしい。







そしてこちらが閻魔大王像と小野篁立像が安置されているお堂。

 


当時は確か閻魔堂として閻魔大王像一体のみ安置されていて、
かなり小さなお堂に格子越しに拝見した閻魔様は、
牢獄に入れられたかなり窮屈そうな印象の魔王の姿だった。

それはまさしく当時の私自身の心境だったのだろう!?

 

この写真はネット上より拝借。









私の又しても朧げな印象なのであてにはならないが、
六道珍皇寺の境内は色彩が明るくなったような気がする。

 


精霊迎えの鐘の鐘堂の柱は以前はむくの木材だったはずだが、
今は朱色に施され、山門の柱も同様。。。


やはりここでも私は精霊迎えの鐘は鳴らさず、
薬師如来像、小野篁像、閻魔様に「コロナ終息」だけを願い、後にする。