前回の続き。
黄梅院の庭園は直中庭、破頭庭、作佛庭の、
三つあるとされているが、
実際現在名前の付された庭園は四つあり、
その他名前の無い庭園は10近く確認される。
本山でも無い塔頭寺院でこれ程多くの庭園を持つ寺院は、
恐らく京都市内の中でもここ位だろう。



書院「自休軒」と本堂のこの空間にも、
極小の壺庭が作られている。




書院から本堂に架かる渡り廊下。
ここで色彩に敏感な人だったら、同年代の寺院に比べたら
黄梅院の廊下、欄干、柱が全てでは無いが黒い印象を受ける。
本来木材の自然の色調を大事にして、
その木材の自然劣化に由る茶色の変化を良しとするが、
どうも黒系のオイルステインが塗られているように見える。



それが全体を引き締め、モダンにも感じ、
角度によっては黒檀のような渋い輝きを発している。






それともう一つ言える事は、
あらゆる空間にも神経が配られ、
何らかの造作がなされ、隙が無い、無駄が無い?



書院と本堂の隙間にも石灯籠と蹲踞、
その眼下には植え込みと一石、
少し離れた苔地には二石。







本堂前の方丈庭園「破頭庭(はとうてい)」。

 



安土・桃山時代、天正年間(1573-1593)に作庭され、
その命名は、中国に現存する“破頭山東禅寺”の
三十二代目・大満弘忍禅師により名付けられたと伝わり、
破頭とは悟りの境地に達する事を云う。











長方形の地割に手前に広がる白川砂の波紋(海)の奥に、
東西に直線で引かれた桂石を境にして、
南面三分の一の苔地(陸)を設けている。

 

 

 

 

 






本堂西端の檀那の間正面に、
観音菩薩、勢至菩薩を表したとも云う大小二石、
その右手に聴聞石の立石が建てられている。











左側には確認しずらいが、
釈迦を表したと云う沙羅双樹(夏椿)が植えられ、
その右脇に人を表したと云う平石が伏されている。
これをもって釈迦にひれ伏す人を表すとも云う。



しかし、本来禅宗の方丈庭園は修行の儀式的な空間で、
清めの白川砂以外は認められるモノでは無く、
何故にこの様に発展したか不可解なモノもある。
だから寺院庭園で重要視されている意味付けは、
私にとってはある意味無意味だと思っている。
これについては現在の段階では断言できる状況でもないし、
途中経過を述べたとしても膨大なモノになるので割愛。



「破頭庭」を見終え更に進むと、
禅宗寺院において現存最古の庫裏に入ることが出来るが、
その回廊に静かに現れる空間。











この坪庭は現代に作庭されたもので、
「閑坐庭(かんざてい)」と云う名が付されている。












心閑かに座ってみる。












明快な枯山水、いわゆる石庭である。








どこからどう観ても石庭である( ´艸`)。



3、4年前の紅葉期に伺った事があるが、
その時はこの空間は観光客で埋め尽くされ、
要所ごとに係員が配され、
言葉の分からない中国の方が庭園を撮影しようものなら、
尽かさず係員が注意を促し、どこか張り詰めたものがあった。

以前は撮影が可能だったらしいが、
十数年前に観光客が余りにも多い故の撮影トラブル、
リュックを背負った観光客が襖絵を損傷事故など、
それ以降撮影禁止とリュックは腹に抱える事になったそうだ。

それが今回は何故?
恐らく緊急事態宣言下、絶対的な拝観者が来ないので、
この時位以前のように自由に撮影して頂こうと、
ご住職の寛大なるお心遣い?

結局入る時にすれ違ったご婦人以外誰にも遭遇せず、
自由に撮影し、贅沢な空間を独り占めしてしまった。



本堂裏の枯山水式の「作仏庭(さぶつてい)」は、
手前の北東にに枯山水を表す立石を配し、
南の流れの中に小舟を浮かべ。。。






作庭家については記されたものは無く、
パンフレットには《生々流転を表したものか。》

 



茶室“東禅軒”












安土・桃山時代の作庭と思うには遠く、
現代にしてはさらに遠く、昭和の趣が感じられる「作仏庭」。

 

 

 

 

 



足立美術館の名園で知られる中根金作。

 



中根庭園研究所の昭和年代の施工実績に
「黄梅院庭園」が残されているらしい。












この細やかな造作、端々の収め方を観るにつれ、
中根金作氏の気配が感じられる。

 

 

 

 

 



本堂の回廊を廻り、
書院「自休軒」の裏手に来ている。



武野紹鴎好みの茶室“昨夢軒”が組み込まれているが、
元は独立した建物で境内東南側にあり、
この書院建立時に移築されたと云う。











千利休より時代的に古い紹鴎好みとするには、
様式的に不審な点もあり、
江戸時代後期に復興されたものとする向きもあるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 



書院の裏、西側にも庭園が作られているが、
造作的には現代的な感じがするので、
茶室“一枝庵”が作られた時に整備されたものか?

 

 

 

 

 

 






ともかく滞在中、庭園を無我夢中に撮影をしていたので、
茶室“昨夢軒”も“瓢箪型の釘隠し”も撮り忘れてしまった( ´艸`)。












帰り際に受付の方にお礼を告げようとしたが、
その場にはおらず、門前前の案内看板を仕舞われていた。

 

 

 

 

 

 

 






あっという間であったが、
一時間半以上滞在してしまって、閉門時間を迎えていた。
この特別公開は~5月30日(日)までの模様。