先日、ブログ友の大徳寺黄梅院の記事で、
この時期の特別拝観で境内、建屋内共に撮影出来るのを知り、
二日前に何とか都合を付けて伺ってきた。
大徳寺の中でも数々の庭園と茶室を配する黄梅院。
しかし年二回ほどの特別拝観でも、
この山門潜っての前庭以外は一切撮影禁止、
何とも庭園、茶室好きな者には罪な寺院と思っていた。
午前中まで雨が降っていたので、
より一層木々の緑が目に染み入る。
臨済宗大徳寺の塔頭寺院の黄梅院は、
1562年、当時28歳の織田信長が初めて上洛した際、
父・信秀の追善菩提の為に「黄梅庵」を建立した事に始まる。
本能寺の変によって信長が急逝すると、
秀吉がこれを徐々に増築し、1589年に「黄梅院」と改められた。
境内には最も有名な千利休作庭の「直中庭」の他にも、
10程の庭園が造られていて、
その配置具合は抜群のセンスを要している。
入って程なく、路地の先には茶室“向春庵”。
待合もどこか毅然としている。
ちょうど拝観を終えられたご婦人二人が、
雨の時期であったが、素晴らしい庭園と室内が拝見できて、
ホントに良かったとため息を漏らしていた。
一層私の期待が高まるではないか!
ようやく建屋内に入る。
目の前には古色蒼然とした「庵」風の茶室。
茶室“一枝庵”は意外と新しく、
1999年に建てられた裏千家15代・鵬雲斎家元好み。
黄梅院の特徴は何と言ってもメンテナンスの良さ。
古さを守りつつ、
この真っすぐ伸びる回廊は現代的でもある。
その頃合いがどこの寺院より抜群である。
ようやくメイン庭園の「直中庭」の背後が見えてきた。
“一枝庵”前の枯山水は茶室建立時期に造られたものと思われる。
既にここは「直中庭」の一部だが、
書院「自休軒」と本堂も見えだした。
書院南庭の「直中庭(じきちゅうてい)」は、
『論語』中の「直きことの其の中にあり」に由来する。
千利休66歳の時に作られたと伝える庭園で、
秀吉の希望による軍旗の瓢箪を象った池を中央に配し、
数少ない千利休作庭の貴重な庭園である。
この位置からは全体が見えないが、
真ん中に見える窪みが瓢箪池である。
今現在は池泉式枯山水庭園とされているが、
元々は池泉回遊式庭園であったと私は思うのだが?
欝蒼と生い茂る草木で全体の構成が判りにくいが、
瓢箪池の中央に伏見城遺構の石橋は、
後の改修時に架けられたものと思われる。
その奥に大徳寺1世・徹翁義亨(1295-1369)が
比叡山より持ち帰った不動三尊石が配されている。
手前に加藤清正が持ち帰った朝鮮灯籠が据えられている。
紅葉期と違い、輪郭が捉えにくいのだが、
実際庭園に降りてみて、回遊する事により、
より一層、秀吉のご満悦の高ぶりが分かって来るのでは
ないかと思ってみるが。。。