本日の京都は既に真夏日の30℃の達していた。
例年ならばこの時期の服装は風通しの良い
フランネル生地の長袖シャツを着ているのだが、
アロハシャツでも良さそうな気温となった。

数日前、今日ほどではなかったが、
フランネルの長袖シャツの着て嵯峨野を散策していた。

 



嵯峨野清凉寺の山門の壁伝い、
そのドンツキは紅葉の名所の宝筐院。












二年前に初めて紅葉期に訪れた時は、
まだコロナウイルスは全く観光地、人類には未知のモノで、
この時もこの細い参道に溢れんばかりの観光客で埋め尽くされていた。








この場所がその時とは同じ場所とは想像も出来ない?

 



紫陽花の蕾が付きだしていた。













宝筐院は平安時代に白河天皇の勅願寺として建立。
勅願寺とは時の天皇・上皇の発願により、
国家鎮護・皇室繁栄などを祈願して創建された寺、寺格の一つ。
東大寺・大安寺・薬師寺などがこれに当たるらしい。










当初善入寺(ぜんにゅうじ)と称していたが、
南北朝時代に夢窓疎石の高弟 黙庵周諭(もくあんしゅうゆ)が再興し、
室町幕府二代将軍、足利義詮によって一時観林寺と改名されていた。
さらに義詮の没後、その院号、宝筐院に因んで現在の寺名に改められ、
以後、足利氏歴代の崇敬を得て栄えたが
室町幕府の衰亡と共に衰微し、江戸時代には天龍寺末寺の小院となり、
門の位置は今とは異なり、南に向けて設けられていたらしい
幕末には廃寺となっていたが、五十数年を経て復興され、
現在の宝筐院は臨済宗の単立寺院として成り立っている。






ここの境内はよく知られる臨済宗の伽藍と違っていて、
回遊式の枯山水庭園が先に在って、その後に施設が作られ、
その為か庭園の区切りが分かりにくく、
大小中の庭園が4、5ケ所設けられているようにも見えるが、
それは個別の庭園ではなく、全て砂利の川により繋がっていて、
全体が宇宙、一つの大きな枯山水庭園を表しているように見える。









アヤメ、躑躅などが咲いていると聞いていたが、
すでにそれらは枯れ気味になり、これは?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



Googleの画像検索をしてみたが、
当てはまる画像はヒットせず、
宝筐院のホームページで最近の開花欄に紫蘭(シラン)。












何処の箇所からも本堂が垣間見ることが出来る。。。









やはり温度が高いので、既に早咲き、

 


更に蚊も発生していて、知らぬ間に数か所やられた( ´艸`)














全ての庭が枯山水により一体化している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



不思議な事に宝筐院は南北朝時代敵同士の
北朝方・足利義詮(あしかがよしあきら)と、
南朝方・楠木正行(くすのきまさつら)の菩提所になっている。
これは義詮が正行の人柄を慕い、
そばに葬るように遺言した為と言われている。

 

 

 



この日も先日伺った南禅寺の天授庵同様、

 


全くすれ違う人も無く、野鳥の囀りが時折鳴り響く。









小一時間が過ぎ、最初の参道に戻ってきた。

 


この先を真っすぐ奥に、
生前敵同士であった足利義詮の墓と楠木正行の首塚が
仲良く並んで建っていると聞くが、
私はこの手の墓石には興味が無く、画像も無く、
何卒ご了承くださいませ。