先々週の土曜日に京都大学まで足を運んだ。
随分前に東大路百万遍を下がった所に

博物館が出来たのは知っていたが、
考古学関係のアンモナイト、マンモスの牙等、
小生にはあまり興味のないジャンルと思っていて、
一度も入ったことないし、入ろうとも思っていなかった。
この前たまたま通りかかった時、このポスターを目にした。

 



陶芸関係もやっているのだ。
もちろん発掘された器の破片の展覧会だが(笑)。

 

 

 



構内に入るのは何十年ぶりだろう?
百万遍辺りにはに住んだことは一度もないが、
23~30歳の時、ここを起点に生活をしていた気がする。

朝一番の進々堂のコーヒー、安くて旨いランチ、夜の定食。
厳密に言えば、農学部前に一年ほど住んでいたことがある。
しかし宿泊は一日だけ?住んでないのとほぼ等しい。
確かこの時はヒッピーのような生活をしていた(笑)。

 



構内も何度か通り抜けている。
当時はまだ学生運動等の立看が至る所立っていて、
その脇からゲバ棒ヘルメットの学生が飛び出しても、
不思議では無い状況だったが、今では立看も不穏な空気も無く、
のどかな昼下がりに家族連れがベンチに座り、
学生が屈託なく縄跳びダンスの様な遊びに高じていた。






京都大学総合博物館前では、
少年兵がラッパを吹いて歓迎?

 



これは同時開催の
「カメラが写した80年前の中国」の立看であった(笑)。















館内に入って直ぐ右側が常設の展示会場。















二階に上がりと
発掘に関する年代物の精密機材がさりげなく置かれている。
その奥の部屋が「発掘乾山窯」の展示会場。






京都大学構内から出土した「文化財発掘」の5回目は、
病院構内出土の乾山焼をメインにした企画内容らしい。

尾形乾山によって生み出された乾山焼は、
江戸時代中期の焼物の世界に新風を吹き込んだと云われている。
兄は言わずと知れた琳派の祖である尾形光琳。



具体的な企画内容は、

・鳴滝乾山窯跡出土品(法蔵禅寺蔵)

・京都大学病院構内出土の乾山焼(京都大学文化財総合研究センター蔵)

・二條家邸宅跡出土の乾山焼(同志社大学歴史資料館蔵)

・平安京左京三条四坊十町跡出土の押小路焼(京都市埋蔵文化財研究所蔵)

・復原錦炭窯(立命館大学文学部考古学・文化遺産専攻蔵)

具体的な企画内容は上記の通りだが、
当方の説明は前後しているので、何卒ご了承ください。





高台裏の鉄絵による「乾山」の銘が印象的な出土品。
(京都大学病院構内出土)















上記と同じく。















先ずは京都西北部の鳴滝の地に窯を築き、
後に鴨川の東に位置する聖護院へ移動している。















鳴滝乾山窯跡出土品の窯道具、窯部材の数々。
















古唐津のような色目と鉄絵。
















もみじ?















梅?
















京都大学病院構内の発掘調査で出土した乾山焼は、
この聖護院窯に関わるものとの事。















窯跡遺跡からの出土品の多くは完成に至らなかった失敗品。
















伝世品に見られるような華々しさは持ってないが、
その地で作られたことを確実に示す出土品の数々…















聖護院窯があった聖護院村は、
江戸時代中期ころから多くの文化人が住むようになり、
ほぼ一世紀の時間差はあるが、
自詠の和歌を刻んだ煎茶器で人気を博した、
蓮月焼の太田垣蓮月も窯を構えていて、
それらの出土品も今回は展示されている。

 

 

 

 

 

 

 





又、乾山焼の源流となった押小路焼、
乾山の庇護者ともいえる二條家の邸宅跡出土品も
あわせて展示する事で乾山焼の実像を探り、
乾山焼に対する理解が深まる事を期待していると、
主催者は述べているかの様だった。

 

 

 

 

 

 

 






この後、
「カメラが写した80年前の中国」と常設展を観覧したが、
写真点数が多くなり過ぎて、今回はここまで!続きは未定(笑)。

 

 


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