龍泉庵は妙心寺四派「東海派」、「霊雲派」、「聖澤派」、
「龍泉派」の本庵で、その中で一番最初に創建されている。
そして山内塔頭寺院の中で最大規模を誇る方丈が、
現在「京の冬の旅」で特別公開されているので伺ってきた。

 



又、臨済宗きっての経済安定を計った事から
妙心寺は「算盤面(そろばんづら)」と呼ばれ、
美術品などの文化財に恵まれた大寺院でもある。

この日の気温予報は5℃前後だったが、
朝方は晴れ間が見えていたので、何となく暖かい感じがした。








龍泉庵の山門は南総門を潜って直ぐにある。



着くや否やその晴れ間は何処かへ…









さすがに立派な庫裏の玄関先…


今回のメインは1999年の開祖五百年法要に描かれた、
日本画家・由里本出氏が描いた100面に及ぶ障壁画、
更に狩野探幽筆「観音・龍虎図」、谷文晁筆「秋山出屋図」、
別名「腕切りの猿」と呼ばれている、
長谷川等伯筆「枯木猿猴図(こぼくえんこうず)」、
長沢芦雪、松村景文の作品などの寺宝も公開されていた。





玄関を入って直ぐ、
これは障壁画ではないはず(笑)!



大きな団扇は火事の際に使われていたモノ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



貴重な寺宝を所有していたので、
刺股と槍など万全のセキュリティ対策がなされていたようだ。









拝観手続きを済ませて最初に目にするのは、
壺庭の奥の襖絵…















「黎明開悟之間」を飾っているのは菩提樹。



大正から昭和にかけて活躍した
日本画家・由里本出(ゆりもといづる)は京都に生まれ、
金沢美術工芸大学を卒業後、堂本印象に師事。















基本撮影は由里本出氏の作品、杉戸絵、庭園はOKだが、
この後の長谷川等伯筆「枯木猿猴図」、
狩野探幽筆「観音・龍虎図」、谷文晁筆「秋山出屋図」等は
撮影NGなので悪しからず…














襖12面に描かれた菩提樹は壮大であり、優麗でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



「昇龍」は描かれた小部屋もあったが、
方丈前には枯山水式庭園が広がっていた。

 



龍泉庵にはこの庭を含め、
4つの庭が作られていたが、後日改めて紹介。










「霊峰四季之間」の正面の襖には、
九州の噴煙を上げる秋の阿蘇山が描かれている。



右側の襖には冬の磐梯山。











方丈中央の間は「種々東漸之間」と呼ばれている。

 












険しい越前海岸を描き、
仏教が西から東へ伝来する様を表している。



右側の襖には虹がかかっている。














東の間は「水到渠成之間」と呼ばれ、
北海道を舞台に正面襖には夏の層雲峡が描かれ、
左襖には春の釧路湿原、右襖には秋の根室半島野付。


龍泉庵を初めて拝観される方には都合よく、
常備5、6人の案内人がおられるので、
色々と分からない事でも身近に解説して頂ける。


小生はと云うと、
この時期の解説は聞かないようにしている?

ただでさえ人より多めの写真を撮る為、
一般の方の二倍以上滞在してしまうので、
解説を同様に聴いていると、優に三倍以上の滞在になってしまう。



この時期の寺院の廊下は途轍もなく冷たくて、長居は出来ない。
この杉戸絵の説明にも多くの人が集まっていたが…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



結局絵の肝心な説明は小生の耳に入らず、
両面同じ制作年代だが、日の当たるところは風化して、
内側のキジはこんなにも奇麗に残されている…
説明の最後の部分だけ辛うじて(笑)。













この後、方丈の北に回り込み、
















向かいの廊下から「樹下寂静之間」を覗き込む。















その襖絵の沙羅双樹は、
数年前に「京の冬の旅」のポスターに採用されたそうだ。
今回は拝観チケットにあしらわれていた。

実際は「夏椿」だが、今となってみれば、
長年日本で伝えられてきた「沙羅双樹」で良いのでは!
「夏椿」より語感の響きも良いし、漢字も美しい。

となればインド北部原産の本物は、
「元祖沙羅双樹」と改名して頂くしかない(笑)。





帰り間際には粉雪も舞い出したが、
足も凍ることなく無事帰還。
次回は今回紹介出来なかった庭園をアップ予定。

 



「京の冬の旅」特別公開
2019年1月10日(木)~3月18日(月)
※2月28日(木)・3月1日(金)は拝観休止。

 

 


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