先々週山科の勧修寺に行った際、
時間があれば世界文化遺産の醍醐寺まで回るつもりでいた。
一番見てみたかったのは三宝院表書院前の庭園。
大きく分けて下醍醐と上醍醐があって、
一般的には下醍醐が観光客が訪れるエリアだ。
下醍醐拝観チケットは一枚だが、
更に三宝院・霊宝館・伽藍エリアに分かれていて、
各入り口でカットできる半券が回収される。

 



先ずは国宝の仏像等が展示されている霊宝館へ…
醍醐寺には国宝の五重塔をはじめ金堂、薬師堂以外、
何と国宝69,419点、重要文化財6,522点も伝承している。
館内は当然撮影不可能なので次のエリアへ…













三宝院に繋がっているこの参道は有名な桜馬場ではないが、
立派な桜並木が確認できる。














おそらく先に見える唐門が三宝院の様だ!?















三宝院の手続きを済ませ大玄関に上がり、
豪華絢爛なる襖絵の数々を拝見して、
撮影可能な庭園に向けてシャッターを押す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



多くの寺宝を抱える200万坪の広大な境内には、
豊臣秀吉の援助により造られたモノが残されている。
中でも庭園は「醍醐の花見」の際に秀吉自らが設計し、
名石、藤戸石なども8年間しか存在しなかった幻の城郭、
聚楽第から運びこませるほどの力の入れようだ。
当初は座観式庭園だったが、秀吉亡き後も数名の庭師により、
秀吉の構想を更に理想的な庭園に仕上げる為に、
20数年も作庭を続け、ようやく池泉回遊式庭園を完成させている。












平民から天下人へ上り詰めた秀吉の生涯は語り継がれ、
以前は大阪を中心としたエリアでは戦国三武将の中で、
阪神タイガース同様にダントツの人気を誇っていたが、
今でもそうなんだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



桃山文化を代表する庭園として
小堀遠州作の二条城二の丸庭園があるが、
この三宝院庭園も同様に豪壮・華麗な庭園に仕上がっている。















秀吉は傾奇者と思われる向きもあるが、
天下を収めた頃から文化的修養を積む事に努力している。
古典文学を細川幽斎、連歌を里村紹巴、茶道を千利休、
有識故実を今出川晴季、禅を西笑承兌、儒学を大村由己、
能楽を金春太夫安照に学んだとされる。
しかし何と云っても利休の影響は絶大なものだったと推測される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



千利休の手掛けた茶室で唯一現存する妙喜庵待庵。
これだけの活動をしていた茶人のなので、
多くの茶室と露地庭に関わっているはず。
それも茶禅一味を追及する茶人としては、
庭についても禅の教えが貫かれていたのでは!?

 




茶室に併設する露地は極めて小さな庭が多いが、
大徳寺の黄梅院「直中庭」、聚光院「百積庭」には、
千利休の手掛けた大規模な方丈前庭が残されている。

 



しかし秀吉が思いを入れたこの庭園には、
利休の茶禅一味の影響など微塵にも感じられない。






庭中心の三つの石「藤戸石」は阿弥陀三尊を表し、
室町後期に実権を握っていた細川管領邸に置かれていたが、
京に上ったばかりの織田信長が奪い、
その後足利義昭のために造営した二条邸、
次なる天下人の豊臣秀吉はこの石を聚楽第の庭に移した。

 



数々の変遷を経て、今は醍醐寺三宝院のこの地に…
そして歴代の武将に引き継がれた事から、
「天下の名石」と云われている。












 

 

 

 

 

 

 

 

この先にも建物が連なっているが、
残念ながら公開されていない。




千利休は堺の商家に生まれているが、
かって堺は自治都市として環濠都市を形成、
且つ国際貿易都市として栄えていたので潤沢な資本の元、
京都に引けを取らない程の豊潤な文化を擁していたと伝わる。
利休も若年より茶の湯に親しみ、
数寄者の素地は自然と備わっていたのだろう。








純浄観、本堂、苔庭、奥宸殿、茶室・松月亭など、
非公開だが多くの貴重な施設が残されている。




秀吉と利休の事を思うと、
何時も秀吉が利休に命じた自害の謎が頭に浮かぶ。
表向きは大徳寺金毛閣の経緯だが、
黄金茶室に見られるの秀吉「大名茶」への暗黙の批判、
商人として財を成し、それに伴う権力も拡大させていた等など。
ネット社会が進み、今でも謎の数は増幅され続けるが、
水と油、天下取りの傾奇者と頂点を極めた数寄者、
出自(ルーツ)の違いが鮮明になってしまった結果なのか?
やはり時の権力者が歴史を握っている、と云う事なのか?






三宝院を出て、仁王門に至る参道は桜馬場と呼ばれている。



毎年4月には桜馬場で豊太閤花見行列が行われ、
境内の至るところでで枝垂れ桜、染井吉野、山桜、
八重桜など1000本の桜が順番に咲き誇る。













国宝の唐門は平成22年7月に桃山時代の
創建時の姿に修復されている。














壮麗に浮かび上がる、
黒の漆塗に金箔の菊紋と豊臣秀吉の五七の桐紋…。







この後に仁王門を潜り、
伽藍エリアの金堂、五重塔、弁天堂に赴くことになるが、
この時点でデジカメのバッテリーが緊急事態(笑)。


伽藍エリアの画像が無いので、一先ずこれにて終了。
名残惜しいが仁王門に架かる青もみじ!










名残惜しいですが仁王門から眺める桜馬場!

 


秀吉が行った歴史上有名な「醍醐の花見」は、
慶長3年(1598年)の春一回きりで、
その日は秀頼や奥方たちと一日だけの花見を楽しみ、
秋の「醍醐のモミジ狩り」も楽しみにしていたが、
その年の夏9月18日には62歳の生涯を閉じている。
何とも哀れ!?秀吉ならばやはり天晴れと云うべきか(笑)。

 

 


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