東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓に広がるエリアは、
鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下、
幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、京都の中でも特別な雰囲気が・・・


そんな幽寂なる空間で覆いつくされた一帯、
泉涌寺参道から左に折れた奥に今熊野観音寺がある。

 


空海は唐から帰国後、東寺で修業をしていた時の事、
東山に閃光が走り、不思議に思った空海は光の指すほうへ・・・
すると、白髪の老翁が現れ、空海はその老翁に何者かと尋ねると、
「私は熊野権現で、この地の守護神となるだろう」と告げた。
空海は、自ら一尺八寸の十一面観世音菩薩を彫り、
その体内に熊野権現から授かった観世音を納め、
ご本尊として安置したことが、今熊野観音寺の始まりとされている。

 

どこかで聞いたことあるような伝説ですが、
ある意味で妖・怪人的な空海ならば、納得ですか?

 

 


実際、今熊野観音寺を訪れたのは10日ほど前で、
真っ先に目を引くのが、この赤い橋「鳥居橋」。
観音寺と泉涌寺の谷を流れる今熊野川に架かり、
まだまだこのように紅葉には恵まれいないが、
おそらくこの時点では鮮やかに染まっているはず。

 

 

鳥居橋をわたって参道を進み、一番最初に目に入ってくるのが
子供たちに囲まれた、意外とポッチャリ体型の子護大師像です。

 

 

 


空海が当山を開かれる時に錫杖をもって、
岩根を割って湧き出したと云われる五智水、
「五智の井」からは、今尚清水が湧き出しいるとの事。

 

 

 

 

現在の観音寺本堂の位置は、かつての奥の院順礼堂にあたり、
空海が熊野権現と出会った、最も神聖なる場所になる。
本尊は十一面観世音菩薩(身丈・一尺八寸)。
しかし残念ながら、秘仏とされていて直接拝むことはできません。

 

 

 

 

その横の大師堂には空海が祀られていて、不動明王、愛染明王、
左大臣藤原緒嗣の像も祀られている。

 

 

大師堂の前の観音さまは、「ぼけ封じ観音」として、
近年お参りする方が増えているらしい。
私もそろそろ・・・?

 

 

その先、本堂東側の山上にひときわ高くそびえ立つ、
鮮やかな朱色の平安様式の多宝塔。

 

 


早速登ってみることに、
鐘楼横から五智水を経て、医聖堂に到るまでの参道は、
西国三十三ヶ所霊場の各御本尊を石仏として奉安し、
第一番より、山上の第三十三番まで続いてる。
結構急で足元が悪いので、ヒール履きの方は絶対遠慮された方が・・・

 

 

医聖堂には医界に貢献された方々が祭祀され、
この平成28年に丹塗りの塗り替えが施され、

 

 

このように、33年ぶりに鮮やかな朱色が甦って、

かなり眩い・・・

又、眼下には市街地が開けて、

そこそこ気分爽快になれますが、

それ以上することもなく、来た道を戻ることに・・・

 

 

 

足元を気を付けながら下山することに・・・

 


毎年大晦日には鎮守社南側の鐘楼では、
百八の除夜の鐘が突かれるようです。

 

 

 

そろそろ日も落ちそうなので帰り支度、

とは云うものの、

今回も弘法大師の偉業を再確認する事に・・・

 

 

次回予告。
サスペンスの女王・山村美紗も眠る雲龍院

 


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