先週はどっぷり東福寺界隈を巡り歩きましたが、
今週はその隣奥の泉涌寺界隈を巡ることに・・・ 

 

東山三十六峯の一嶺、月輪山の麓にたたずむ
泉涌寺の山内寺院である善能寺。
大同元年(806)弘法大師の創建といわれ、
洛陽三十三所観音霊場の一つに指定されている寺院。

 

 

 

 

まだ紅葉には時間が掛かりそうですが、
その時は想像絶する景色が展開している事でしょう。

 

 

 

 

明治時代に荒廃しますが、1887年に再興。
1971年には北海道の山岳地で遭難したバンダイ号の遺族が
祥空殿という、方形造りの屋根のお堂を寄進し、
聖観世音菩薩が安置されている。

 

 

しかし、常備この寺をお守りしている方は見受けられず、
おそらく泉涌寺の関係者が朝夕、
又は、行事のその都度お世話している感じです。

 


 

 

 

苔に覆われた雲紋築山(うんもんつきやま)は
雲と飛行機を象っている・・・

 

 

 

 

 

 

祥空殿の背面を取り囲むように、
バンダイ号の関係者の慰霊を込めて、
重森三玲による「遊仙苑」が造られていた。
彼にしては珍しい池泉式庭園である。

 

 

 

「遊仙苑」は飛行機から地上を眺めた
鳥瞰図をイメージして造られている。

大胆な石の扱い方は、いかにも重森三玲らしい。

 

 

 

重森三玲は後日談で、

飛行機が幾千万の山海上空を飛翔し、
窓外に各地の山岳や平野を俯瞰する景観を全庭に畳んだ

と述べている。

 

 

現在は池には水は張られておらず、
荒れ果てた感じが漂っている。
無人寺では仕方が無いかとも思いつつ、
これも観方によれば、斬新な枯山水に見えなくはない。

 

 

 

 

少し荒れ果てた苔の奥に佇む小さな鳥居の神社、
「日本最初の稲荷社」と伝わる社で、

 


823年、空海は東寺南門で稲を背負った老翁と出遭う。
翁は自らを、八条の二階観音堂に住する柴守長者と名乗る。
無者に福を与え、空海の仏法を守護するものという。
空海は喜び、赤飯を供し法華経を講じた。
以後、翁を稲荷大明神と尊称し、稲荷社も祀って供養したという。

 

しかし空海の稲荷神は、秦氏が起こした伏見稲荷の
それとは違う、外国神の荼枳尼天(だきにてん)、
真言密教に関わる、インドの女神ダーキニーと云われている。
又、荼枳尼天は数々の怖ろしい言い伝えのある神でもある。

 

 

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重森三玲の作庭した庭園は、東福寺では大層丁寧な
扱いを受けていたが、ひと山隣の月輪山の麓では・・・
何とも、少し複雑な気分になりましたが、
山門を出て、来た道の反対方向、右手の階段を上がってみると、
目の前には泉涌寺の堂々とした仏殿が・・・・

 

 

 

次回予告。
赤穂浪士ゆかりの茶室「含翆軒」を愛でる。

 


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