昨日の東福寺界隈北からの流れです。

 

 

退耕庵 (たいこうあん)は、1346年に東福寺43世の
性海霊見(しょうかいれいけん)により、その退隠所として創建され、
応仁の乱で荒廃するも1599年に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が再興。

 

関ヶ原の戦いの謀議を行った作夢軒(さくむけん)

その後、安国寺恵瓊によって建てられた四畳半台目の茶室・作夢軒に

おいては、豊臣秀吉の死後、石田三成、小早川秀秋、宇喜多秀家、
安国寺恵瓊等により徳川討伐の謀議が行われていたと……

 

しかし関ヶ原の戦いでは、小早川秀秋の寝返りにより、
西軍は壊滅、大坂を目指し伊吹山中へ、
石田三成も夢にも思わなかった、まさかの歴史的展開……
日本将来を占う戦いの戦略、夢の数々、
それを語ったのが作夢軒とは、何と云う皮肉な……


その後、安国寺恵瓊も捕らえられ、石田三成、小西行長と共に
京都・六条河原で斬首されたの事です。
 

 

 


又、幕末の鳥羽・伏見の戦いの際には長州藩の本陣になったそうで、
門前の右脇には「戊辰役殉難士菩提所」の石碑が建てられています。

 

 

退耕庵の庭園は、枯山水の南庭と、
池泉式庭園で睡蓮が咲く北庭と、
意匠的に大変珍しい坪庭が造営されています。

 

 

残念ながら、今回写真ではお見せできませんが、

南庭の「真隠庭」は、
性海和尚の作庭でスギゴケによる苔庭ですが、
和尚が修行した中国の景色を表し、簡素な枯山水です。
樹齢300年という霧島ツツジの巨木は、
4月末頃に真紅の花を咲かせるそうです


北庭は、書院の近くは枯山水の風情ですが、
一般には池泉鑑賞式の庭園とされています。
中国西湖をイメージにして作られた庭は、
6、7月に睡蓮が咲き、一層見応えがあるとの事です。


特に坪庭は、
四方の縁に竹を敷き詰め、小石を敷いた長方形の庭面に、
長方形、円形、景石、蹲踞が置かれた、珍しい造りなっています。

 

 

退耕庵の庭園と茶室・作夢軒は、特別拝観時に見ることは出来ますが、

確か撮影が出来ないと聞いておりますので、ネットで見かけることも

ほとんどないのですが、この坪庭は必見の価値ありです。

 

 

 

 

門を潜って右手の「小町寺」の額が掛けられた地蔵堂には、
大きな彩色の玉章(たまずさ)地蔵が祀られています。

 

 

その地蔵菩薩坐像の像内には、小野小町に寄せられた恋文が
納められていて、その上自ら恋文を張って像を造ったとされ、
別名「文貼り地蔵」とも……
悪縁を絶ち良縁を結ぶとも……

 

 


もとは東山区の渋谷越えにあった小町寺の像ですが、
明治初期に廃寺となり、その後退耕庵に遷されました。

絶世の美女と謳われた六歌仙の1人ですが、
宮仕えを終えた後は全国各地を渡り歩き、 
衰えた美を嘆きながら亡くなったと云われています。 

 

 

地蔵堂の前には、老いた自身が水面に映った自分の姿を
見て嘆いたといわれる「小野小町百歳井戸」があり、
又、本堂には自ら作った、ゾンビも驚くほどの、
おぞましい「小野小町百歳像」も安置されているとの事です。


山門付近以外、退耕庵の本堂、茶室、庭園は檀家さんなど、
ゆかりのある人しか入れないお寺ですが、事前に往復ハガキ
での申し込みや、年に何回かの特別拝観を行っております。


退耕庵(たいこうあん)
【住所】京都市東山区本町15丁目793
【電話番号】075-561-0667

 

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