…最初に屯所を置いたところは何処か?

 

江戸幕府によって集められた浪士組230余名は、京都の治安維持と、上洛する14代将軍・徳川家茂の周辺警護のため文久3年、京都に到着した。三条大橋から入京し、壬生の郷士屋敷や寺などに分宿した。本部は新徳寺に置かれ、近藤勇らは八木源之丞の屋敷に泊まった。

 

しかし、浪士組の中心人物である清河八郎が朝廷に尊皇攘夷を建策し、攘夷を命じられると、浪士組の大部分は江戸へ帰還した。この時、芹沢鴨などの水戸派や近藤の一派などは京都に残留し、壬生浪士組と呼ばれ、後に新選組となった。

 

八木邸

前川邸

 

そして、約2年間、壬生の八木邸前川邸に屯所を置いたが、隊士数が増え元治2年、西本願寺・北集会所(キタシュウエショ)に屯所を移した。慶応3年には、不動堂村(正しくは、西九条村)に移転し、更には廃止されたばかりの旧・伏見奉行所に移った。