…大政奉還の舞台となった城は?
江戸幕府の 第15代将軍・徳川慶喜は慶応3年10/13、 在京の10万石以上の藩の重役を 二条城の大広間に招集し、 約40藩50数名が集まった。
そして老中・板倉勝静(カツキヨ)が 政権返上(大政奉還)についての 朝廷への上表草案を大目付に配布させ、 意見がある者は残る様に伝えた。
殆どはそのまま退出したが、 薩摩・土佐・広島・岡山・宇和島の 重役(薩摩・小松帯刀や土佐・後藤象二郎など)6人は、 慶喜に謁見し、 その英断を賛美し、朝廷に奏上する事を請うた。
二条城は家康が京都の守護 と上洛時の宿所として造営した城で、 慶長6年、西国の諸大名に築城を課し、 同8年にほぼ完成した。
大広間の一の間は上段の間、 二の間は下段の間となっており、 将軍が諸大名や公家と対面した格式の高い部屋である。
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