後白河天皇の在位期間は4年と短いが、

その後上皇として、

二条・六条・高倉・安徳・後鳥羽の5代、

30年以上の長期に渡って院政を敷いた。

 

保元3年に譲位した後白河上皇は、

新たな院政の拠点として法住寺殿を造営した。

 

平清盛が寄進し、

法住寺の仏殿として建てられたのが、

かの、蓮華王院(三十三間堂)である。

 

 

 

 

更に上皇は永暦元年、

熊野権現と

日吉山王(ヒエサンノウ・「日吉大社」)を勧請し、

法住寺殿の鎮守とした。

 

この内、

比叡山の東にある日吉山王を

勧請した社が「新日吉(イマヒエ)神宮」である。

 

当初は現在より南の

今熊野瓦坂にあったが、

その後、智積院の北に移り、

明治30年代に現在地に移ったとされる。