…三十六歌仙を選んだとされる人物は誰か?

 

 

 

 

 

平安初期に嵯峨天皇が造営した

離宮・嵯峨院の庭園の

園池が現在の大沢池であり、

名古曽滝はそこにあった。

 

嵯峨院は貞観18年に嵯峨天皇の

皇女・正子内親王により大覚寺となった。

 

北方の上嵯峨山中から流れ出る谷川を、

堤を築いて堰き止めたのが大沢池で、

池の北部には西に天神島、

東に菊ケ島を配する。

 

 

池の北方約100mには

「名古曽滝(ナコソノタキ)跡」として

残る滝石組がある。

 

近年の発掘調査では

この滝石組から大沢池に至る

平安期の素掘りの遣水(ヤリミズ)

の遺構が見つかった。

 

 

『拾遺和歌集』にある

「滝の音は絶えて久しくなりぬれど

 名こそ流れて なほ聞こえけれ」と

「名古曽滝」を詠んだのは、

藤原公任である。

 

公任は、

平安中期の大納言で家人。

 

この歌から平安中期には

すでに水が涸れていた事が分る。

 

大沢池は、

「大沢池 附 名古曽滝」と云う名称で、

大正11年に国・名勝に指定されている。