…その舞台となった二条城の建造物は?
江戸幕府15代将軍・德川慶喜は、 慶応3年10/11、 在京の諸藩重役などに 同月13日の二条登城を求めた。
登城した約50名は、 「二の丸御殿」大広間で それぞれの主君宛の書付を 大目付・戸川安愛(ヤスチカ)から渡される。
大政奉還の意志を示し、 対する意見及び上洛を求めたものである。
ここで将軍への言上希望が問われ、 薩摩の小松帯刀 土佐の後藤象二郎・福岡藤次 安芸の辻将曹(ショウソウ)の他、 備前と宇和島の出席者が応じた。
6人は大広間で慶喜の謁見を受ける。
小松が速やかな朝廷への奏聞を力説し、 慶喜はこれを受け入れる。
翌14日、慶喜は参内せず 摂政・二条斉敬(ナリユキ)に対して、 大政奉還・建白を提出した。
15日、慶喜は参内し、 受理された事を聞かされるのである。
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