【89】御土居である。

 

 

 

 

 

東は鴨川・西は紙屋川・北は鷹峯

・南は九条通で囲まれる長方形の

4辺に土塁を構築して洛中・洛外の別を確定し、

秀吉の統治が一元的に及ぶ区域の

視覚化を意図したと推定される。

 

建造当初には

京廻ノ堤(キョウマワリノツツミ)・新堤の名もあった。

 

土塁の高さは約5m、

底幅は約20m、

上部には竹が植えられ、

伐採は役人が管理した。