ドイツの応用化学者

ゴットフリート・ワグネル博士が

新技術を導入したのは、「京焼・清水焼」。

 

 

 

 

ワグネル博士は、

明治元年に来日、

有田焼の技術改良を指導した後に、

第2代京都府知事・槇村正直の招聘を受け、

舎密局(セイミキョク)の化学校で理化学を教授した。

 

 

その傍ら陶磁器や七宝の釉薬の改良、

ガラス、レンガ、石鹸製造などを指導、

京都の美術工芸や産業界に革新をもたらした。

 

「京焼」は京都で

生産される陶磁器の総称で、

清水焼はその代表的な存在。

 

 

江戸初期に

色絵陶器を完成した「野々村仁清」はじめ、

「尾形乾山(ケンザン)」ら幾多の名陶工の

伝統と美意識を受け継ぐ一方、

新技術による改良や優美な

装飾趣向も織り込んで今日に至っている。