…下醍醐では五重塔(国宝)だけが残った。
伽藍の復興までは長く時間を要したが、 80代座主・【62】義演(ギエン)の努力と 秀吉の帰依により実現した。
秀吉は関白任官前にも、 伽藍の修理費を寄進するなどしていたが、 特に最晩年の慶長3年3/15に醍醐寺で行った 「醍醐の花見」が伽藍再興に 大きな弾みをつけたと云われる。
花見の宴は、 下醍醐から上醍醐へ登る途中の 台地・やり山までが選ばれたが、 1カ月前に山城・河内・近江・大和 などから蕾を付けた桜700本を 総門からやり山までの一帯に 移植させる力の入れようで、 座主の義演を感激させたと云う。
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