…それを何と呼ぶか?
山は本来、 人が担ぐ舁山(カキヤマ)が主であるが、 鉾と同様に車輪が付けられ、 山を曳いて巡行するものを曳山(ヒキヤマ)と呼ばれる。
これまで曳山は、
①岩戸山 「天照大神が天岩戸を開いて 出現した神話に基づいた山で、 神体は3体、 天照大神と手力雄尊(タヂカラオノミコト・戸隠大明神) の2体は内に祀り、 伊弉諾尊(イザナギノミコト)は 屋根の上に安置されている。
天井の金地着彩の草花図は 今尾景年(南禅寺法堂の龍の天井画で有名)の作品で、 前後の軒裏の鶺鴒(セキレイ)図は中島華鳳の筆である。
前懸は中国の緞通(ダンツウ)、胴懸はインド絨毯。」
②北観音山(上り観音山) 「楊柳観音・韋駄天像を祀る。
この山と南観音山は、 巡行時に柳の枝を垂らしているのが特徴。
幕末までは南観音山と一年交代で山を出していた。
山を建てる際、 南観音山との間で「松取り式」を行う、 新しく伐った2本の松が運び込まれ、 どちらを取るか、くじで決める。」
③南観音山(下り観音山) 「楊柳観音と善財童子像を祀る。
先の北観音山同様、 巡行時に柳の枝を垂らす。
又、幕末までは北観音山と 一年交代で山を出していた。
更に山建ての折、 北観音山との間で「松取り式」を行う。
尚、巡行前夜に 楊柳観音と善財童子を縛り付けて 町内を3周する「あばれ観音」がある。」
の3基であったが、
令和4年の巡行から、 文政9年大雨で懸装(ケソウ)品が破損し、 元治元年・禁門の変(蛤御門の変) の大火で御神体の一部を残し多くを焼失し、 長く休み山であった「鷹山」が、 196年ぶりに復興し巡行にも参加した。
④鷹山 「これも大きな曳山で、 御神体は鷹匠・犬飼・樽負(タルオイ)の3方で、 中納言・在原行平(アリワラノユキヒラ)が 光孝天皇の御幸で 鷹狩をする場面を表わしている。
江戸後期には、 黒漆塗で破風裏は金と云う、 華麗な屋根を持つ曳山であった。」
なので、 令和4年以降、 「鷹山」を加えた4基が曳山(ヒキヤマ)となった。
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