醍醐寺・三宝院庭園」は、

慶長3年に秀吉によって当初の地縄張り(設計)がなされ、

秀吉自身は同年に没するが、

庭園は元和10年に一応の完成を見た。

 

座主・義演(ギエン)が記した

『義演准后(ギエンジュコウ)日記』からは、

秀吉の作庭の有様がつぶさに窺がえる。

 

 

三宝院庭園と云えば、

天下の名石「藤戸石(フジトイシ)」がある。

 

藤戸石は、

秀吉が聚楽第に運び込ませていたものを、

「醍醐の花見」の折、

三宝院へ移動させたとされ、

覇者のシンボルともされている。

 

建物群の南に東西に長い園池が広がり、

護岸には大振りの石が多用されている。

 

園池は東・南・西を築山(ツキヤマ)に囲まれ、

藤戸石は園池南岸と築山との間の平坦地に据えられている。