…となったのは誰か?

 

小黒麻呂

 

種継

 

 

長岡京から平安京へと遷都の際、

初代造宮大夫となったのは

藤原小黒麻呂(オグロマロ)」である。

 

小黒麻呂は、

藤原鳥養の次男で、

母は大伴道足(ミチタリ)女(ノムスメ)。

 

藤原仲麻呂の乱の論功で従五位下となり、

光仁朝で著しく昇進した。

 

陸奥国の伊治砦麻呂(イジノアザマロ)の乱

では軍を率いて出陣した。

 

延暦3年には中納言となり、

藤原種継と共に山背国乙訓郡を

視察して長岡遷都を推進した。

 

長岡京を廃するにあたっては、

新京を求め山背国葛野(カドノ)郡の地を相(ミ)た。

 

延暦13年に病となり、

正倉院から雑薬を贈られたが、

平安遷都直前に死去した。