・・・その際の総奉行は京都所司代の誰か?

 

 

慶長6年家康は、

畿内の大名に造営費用を拠出させ、

二条城造営に着手した。

 

京都所司代で造営責任者の板倉勝重は、

敷地予定地の町家を立ち退かせ、

神泉苑の池を埋め立てて堀に転用した。

 

工事担当は中井家・杉本家・山上家などである。

 

家康は慶長8年2/12に征夷大将軍に任ぜられ、

3/21に二条城に入城した。