人物

略歴

 

松永尺五

(セキゴ)

(昌三)

松永貞徳の子で儒学者、春秋館や尺五堂の他、東堀川二条に私塾①を開設した。

門弟に「養生訓」を著した貝原益軒や木下順庵などがいる。

 

伊藤仁斎

私塾を堀川の自邸に開き、

公家から町人まで多数の門弟に教えた。

その塾は②と呼ばれ、伊藤家が代々継承し、その跡地は国・史跡となっている。

 

現・京都府亀岡市の出身で「石門心学」の祖。

享保14年に自邸で講義を始め、元文4年に代表的著作『都鄙(トヒ)問答』を著した。門弟に手島堵庵(トアン)などがいる。

 

皆川淇園

50歳前後で開物学と云う独自の学問を起こし、町人から大名まで多くの門弟を抱えた。

詩文を能くし、書画にも優れ、有斐斎(ユウヒサイ)・呑海人と号した。

文化3年に京都御所西に学問所④を設立した。

 

 

現在の京都府宮津市の出身で、

西洋医学を修め天保10年、

医学校「順正書院」を創立し、

系統的な医学教育を行った。

その建物は現在、料亭として使われている。