福岡キャナルシティ劇場で22日からはじまったシラの恋文。初日と次の日のマチネを観劇しました。



恋文ということからお話はやはりラブストーリーとなっています。

シラノドベルジュラックが下敷きになっている、というよりは少しエッセンスを散りばめた、全くのオリジナル作品です。



この恋の話は輪廻や宇宙空間の波動、物理や医学用語がでてきたりと、かなり大きなスケールの中で展開していきます。


初回を観た後は、そのエピソードの多彩さに圧倒されて頭の中でなかなか消化されない自分がいましたが、舞台から醸し出される可笑しさや清廉さや現実世界の怖さや皮肉、それを包み込む優しさは、しかと心に受け止めた思いでした。






で、2回目。少し頭の中で整理がついて情緒的にもフラットな気持ちで観られたような。



舞台はコロナの後にやってきた回復が見込めない結核に侵された者たちが暮らす、海と山が眺望できる療養所サナトリウム。

何でもそこに入った者の5年生存率はゼロという。大変タチの悪い菌に侵されている人々。


そこで行われているのは治療のほか国策として奨励されている剣術。

コロナの時はやたら旅行に行け!とか国のやり方は‥なんて言葉も出てきたりしてw結核患者と剣道の一見ミスマッチも何やら腑に落ちたり。発想が斬新すぎます、北村さん。




登場人物は医師と看護師を除いては常に死の恐怖と向き合っている人たちなのに、否だからこそなのか?畑を耕して食物の生育に没頭したり、恋に貪欲だったりと、その明るさゆえから死というイメージからは遠いけど、多分それぞれが自分の恐怖を内包しているのだろうということは理解できます。



そんな療養所に、ギターを携えてまさにフラッと立ち寄ったように登場する、主人公のシラくん。

シラは山に雪が積もったらそこから滑降するのを楽しみにしているという。

職業はゴーストライター。職業からしてもこの物語においてもなぜかシラはそこにいるのに、浮遊感というか透明感という実在感が希薄なんです。


そんなシラを私、あまりの透明感ゆえに、初見では誰かの概念から生まれ出た人物なのか⁈なんて思ってしまったのですが。





2回目を観たら、存在観そのものは変わらないのですが、その希薄ささえも、私の中でのシラが変わって見えたんですね。







細かいストーリーはネタバレになってしまうので記しませんが、この舞台、どなたがスルメみたいって言われてたけど、本当、後からいろいろと思い起こすことがあったり、腑に落ちたり、ジワジワとその世界観が心の中に入り込んできています、今も。




剛くんにとっては今までの舞台とは一味も二味も違ったモノなのかな、と思います。





演劇って、日常に先にあるものをその作者や演出家の感性で構築したものを、観る側がその視覚や聴覚や感覚を通して各々の日常に投影していくものなんだ、なんてことを改めて考えた次第。

ちょっと何言ってるんだか?っていう感じですが、この舞台の役者さんはそれぞれの与えられた台詞はもちろん、他にもやる事がたくさんあって、単純に役者さんてスゲー!って思ったというのも事実です。





それから、ひとつだけネタばらし。

百恵さんとシラの絡みが何ともエモーショナルで好きです。




そして何よりラブストーリーなので、シラが意外な人の代筆をして、結果どうなり、どんな気持ちが押し寄せてくるのか?乞うご期待!という感じです。






次回私は東京公演の前楽と大千穐楽を観劇予定です。舞台は生き物。

熟成かはたまた⁈     楽しみです♪