サイモンとガーファンクルは、1960年代初頭にアメリカを代表した音楽デュオです。フォーク、ロックのサウンドと詩的な歌詞で、若者からお年寄りまで幅広い層の心をつかみ、激動の60年代の世論や感情を反映していきました。

 

結成当初は、他のフォークグループと同様に、エバリー・ブラザーズの影響を強く受けたベーシックなフォークデュオでした。1964年に最初のアルバム『Wednesday Morning, 3 A.M.』をリリースしても、すぐには大成功を収めることはできませんでした。増え続けるフォークグループの中で、彼らは瞑想飛行をしていました。当時は、ボブ・ディランの影響を受けるアーティストが多く、彼が奏でるようなジャンルで成功を収めようと努力していル人が多かったように感じます。

 

1965年、ディランに影響を受けたひとりである、音楽プロデューサーのトム・ウィルソンは、『Wednesday Morning, 3 A.M.』に収録されているサイモンとガーファンクルの曲「The Sounds of Silence」を電撃リミックスし、シングルとしてリリースしました。ウィルソンは原曲にエレクトリック・ギター、ベース、ドラムを加え、フォーク・ロックという出てきたばかりのジャンルを利用しました。これを機にサイモンとガーファンクルは注目を浴び始めるのでした、「The Sound of Silence」はまたたく間にナンバーワン・ヒットとなり、瞑想していたサイモンとガーファンクルの名声を高めることに成功した。「サウンド・オブ・サイレンス」は、1960年代の世界中の国民の不満と主張を反映した作品として再評価され、その年のアンセムとなったのです。

 

1966年になると、サイモンとガーファンクルは、ベトナム戦争や公民権運動など、国中に広がる政情不安に積極的に参加するようになりました。この年に発売されたアルバム『Parsley, Sage, Rosemary and Thyme』には、彼らの反戦意識が色濃く反映されています。このアルバムは、彼らの新しいフォーク・ロック・サウンドを示すもので、全米で大成功を収めました。このアルバムは、若い聴衆には当時の音楽や不満との「関連性」を、年配の聴衆にはサイモンとガーファンクルの「知性」と複雑な歌詞を気に入ってもらえたのです。サイモンとガーファンクルの音楽は、アメリカ中の人々の心だけでなく、世界中の人々の心の中に響き始めていたのです。

 

政治的に言えば、サイモンとガーファンクルは、アルバム『Parsley, Sage, Rosemary and Thyme』の中で、ベトナム戦争や公民権運動など、アメリカ国内で起こっている出来事について、自分たちの考えを明らかにしていました。それ以前にも、彼らは「The Sound of Silence」という曲で政治的な発言をしていた。この曲では、人々が政府に盲従し、自分の考えを自由に語らないのは間違っているとさりげなく示唆をしていたのです。

 

The Beatlesがアルバム『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』を発表し、音楽業界の様相を一変させた翌年の1968年に、サイモン&ガーファンクルは次のアルバム『Bookends』を発表した。サイモンとガーファンクルは、ビートルズやそれに続くグループとは異なり、1967年の "サマー・オブ・ラブ "で生まれたサイケデリックなムードに屈することはありませんでした。むしろ、深い歌詞の意味やメッセージを吹き込むことで、アルバムに「色」を加えたのです。アルバムが「Bookends」と呼ばれているのは、この文学的な強調を反映したものでもあると言われています。

 

1960年代の終わりには、ベトナム戦争をめぐる緊張が高まり、「サマー・オブ・ラブ」は決定的に終わりを告げました。1960年代末には、ベトナム戦争の緊張が高まり、「サマー・オブ・ラブ」は終わりを告げました。サイモンとガーファンクルのアルバム『Bridge Over Troubled Water』は、この時期の相反する感情を反映して書かれたもので、タイトル曲は「雄弁なシンプルさと優しさで、必要とされている希望のメッセージ」を表現しています。しかし、その直後、サイモンとガーファンクルは、The Beatlesがそうであったように、時代の不安に負けて解散してしまいます。そして、そののちは、サイモン、ガーファンクルそれぞれ、ソロで成功を収めていくのでした。

 

昔は、戦争が始まると、割と早く著名人による、反戦歌が作られてきた印象です。

しかし、今回は、動いている様子もなく、何か、あるのか、と感じてしまう所存です。

 

政治と音楽は切り離して考えていいと思いますが。