みなさんは、「リンツ」と聞いて何を思い浮かべますか?チョコレート専門店でしょうか?オーストリアの第三の都市、でしょうか?近年日本でも、リンツのチョコレートを手軽に買うことができる機会が増え、クリスマスの時期にはアドベントカレンダーを購入し、1日ずつあけてチョコレートを楽しむ人も増えました。しかし、このリンツのチョコレートの語源の由来は、都市からではなく、チェコのルドルフ・リンツという人が開発したからなんです。もちろん、リンツという都市も素晴らしい場所で、オーストリア北部に位置する工業都市であり、ドナウ川をまたいで栄えたことから、市街地の情緒は素晴らしいものです。

 

 しかし、今日お話する「リンツ」は、都市でもチョコレートでもありません。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの交響曲 第36番 ハ長調 K.425は、別名、「リンツ」と呼ばれている曲です。なぜ、リンツと呼ばれているかというと、これは、リンツにゆかりがあるために、後世になって名付けられたわけですが、この「リンツ」は、1783年11月4日にウィーンで初演されました。

 

 通常、ひとつの交響曲が出来上がるまでに1年以上の月日がかかることは大いにあります。しかし、モーツァルトの残した手紙によると、この作品はわずか3日〜5日でつくられました。

 

 では、なぜ、このようなことがわかったのかというと、モーツァルトが父親に手紙を大量に書いていたからです。そして、なぜ300年以上も前の手紙が、内容も鮮明に読み解ける形で見つかったのでしょうか。

 

 まず、そもそも、モーツァルトが存命中は、今のように、電話やメールはなかった時代です、当時の人々は、親は子に、子は親に今以上に、こまめに手紙を書いていたことが、数々の歴史の解明の手助けとなったのです。モーツァルトも35歳という、短い生涯の間に、大変な数の音楽作品を残しただけでなく、どんなに大喧嘩をして、家出同然で飛び出した過去があっても、膨大な手紙を父親に書いていたことが、死後わかっています。

 

 しかし、その手紙も国内ですら届くのは数日後、海外に至っては1ヶ月以上かかることもざらだったようで、その間に劣化してしまったり、紛失してしまうことも多かった時代です。

 

 そのような中で、彼の業績を彼の死後に伝え、忘れない存在にしようと、全ての手紙を良好な状態で保存することに尽力をしたモーツァルトの妻コンスタンツェや父親の存在がありました。そのおかげで、手紙が当時の中では、良好な状態で保存されていたため、音楽評論家や歴史研究家などの後世の人々が、モーツァルトの足跡をたどりやすかったとされています。

 

 ザルツブルグにある、モーツァルトの生家やモーツァルト博物館、ウィーンにあるモーツァルトの墓などを実際に私も訪れたことがありますが、ブラームスやシューベルトのものと比べると、遺品が多いように感じました。それは、妻や父など家族の愛の賜物だと思いました。

 

 現在、コロナ禍で、家族や友人と気兼ねなく会えるということがまだまだ難しいです。ただ今も昔も、クリスマスや新年を大切な人たちで迎えることがどんなに大切であるかは同じように感じます。このまま入国制限が緩和され、多くの国で観光客の流入が戻りつつあるため、コロナが落ち着いてくれることを願うばかりです。