はあい!

改めて「この世界の片隅に」を振り返ると、

この映画の持つ意味を、単純に明確な言葉にはできない、

でも、とにかく見てほしい、そんな思いが改めて蘇ってきます。

 

では、なぜそこまで多くの人に感動を与え、ただ「ああ、よかった」だけでは

済ませないだけの映画になりえたのか。

 

ここから、ネタバレです。

 

後半に入ると、主人公すずの「右手が吹っ飛ぶ」んです。

広島原爆のあの日、昭和20年8月6日が近づきつつある夏の日。

幼い姪の手を引いていたすずは、不発弾の暴発に遭遇します。

姪は死亡、ヒロインすずも、右手を失います。

 

絵を画くのが好きだったすず、嫁という立場で夫の実家で生活するすず、

それだけでも、右手がないことはどれだけの絶望と不便があるでしょうか。

これがスターウォーズなら義手を簡単に作れるところですが昭和20年の広島・呉市。

 

そして、広島市から呉市に嫁いだすずは、実家も失います。

両親も幼馴染も。妹も被爆してそう長くはない。

嫁いだ呉でも、義理の親や義理の姉、夫は無事でしたが、

姪は…

すずは悩みます。もし姪を左手につないでいたら。もしもう少し早く歩いていたら。

 

そういった描写を、アニメーションだからできる手法で描きます。

もちろん、戦争を描いた映画なので、無残なシーンや悲しいシーンもあります。

でも、全体には、笑いが起きるどころか、空気が止まったような、それでいてユーモラスな

雰囲気が全体を包んでいます。

だからこそ、「ああ、こういうシーンがあるけど、きっと現実はもっとこうなんだろうな」

と自然と想像させられます。そこにまたグっとくる。

 

この映画は、反戦をストレートに描いた作品ではなく、

すずを中心とした「地方の家族の、戦時下の日常」をほのぼのと描く映画だといえます。

日常を描く=人が生きていくことを描くわけだから、

食事やちょっぴりだけど性のシーンも出てきます。

 

この「戦時下の食事」というモチーフだけで、戦争がだんだんと深刻になっていく様子を

丁寧に、そして非常に巧みに、ユーモアを交えて描いています。

また映画ではカットされていますが、原作には遊郭の女郎たちとの

エピソードもあるようです。

 

そういった意味で、

相反する様々な事象(戦争の悲惨さとユーモア)、感情(涙と笑い)を同時に成立させ、

戦争や生きること、

それでも「生きていかないといけない」

それでも「日常はずっと続いていく」

ということを思い知らされます。

 

本当、日本人はもちろん、広く世界の人に見てもらいたい映画。

日本が戦争で爆撃されたという事実の描写をいったん置いておいたとしても、

こういった内容をこれだけの技量と技術で

普遍的な作品にした日本の映画の実力、

この作品の持つテーマ、アプローチの方法を

もっと知ってもらえたら…

公開劇場がもっと増えるといいですね。

サイトのレビューでは「隣の県まで3時間かけて見に行って、本当によかった」

という書き込みもあるほど。

 

戦争映画はちょっと…と思ってる人も、決してそんなことはありません。

 

それでは、何かを伝えたくなる時には、Sparklingに一歩踏み出して…!