「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪れる〜その14 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


「くずはモール(大阪府枚方市)」内の京阪電車鉄道博物館「SANZEN-HIROBA(さんぜんひろば)」で現在、開催されている「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪問した際の様子をお送りしています。



今年(2025年)で、京阪特急の誕生から75年。本題の「8000系」について取り上げる前に、その歴史について、ここ「SANZEN-HIROBA」の常設展示や、手元の参考文献などにも触れながら項を進めています。出典①。



さて、ここは「萱島駅(かやしまえき、同寝屋川市)」。下り線(大阪方面)3・4番線のど真ん中に、巨大なクスノキが空に延びています。

この駅から大阪方面に展開する高架複々線を建設するに当たり、真下にあった「萱島神社」のご神木を切るに忍びず、そのまま残したという名光景です。車窓からもしっかり見えます!


その4番線で、この駅始発の区間急行として発車待ちをしていたのが「1900系」。2001(平成13)年6月、ブログ主撮影。




4代目京阪特急としてデビューした「1900系」。1963(昭和38)年4月の淀屋橋延伸開業を期して、先行して製造された別形式を編入、登場した車両ですが、特急車両としての活躍は、短いもので10年弱にとどまりました。出典②。

その後、一般通勤型車両に改造され、平成半ばまでという異例の長期間にわたり活躍を続けたというところまで、前回記事では触れました。


短い特急時代だった「1900系」に変わり、1971(昭和46)年にデビューしたのが「3000系(初代)」でした。京阪特急5代目の車両です。


ようやくにして、現役の特急時代を知る車両が登場です。わたしの世代ですと、幼少から知る「京阪特急」というと、まさにこれ。憧れの車両でした。1993(平成5)年7月、三条にて。




そういったことで、わたしにとっても大変思い出深い「3000系(初代)」について、ここからは項を進めてまいりたいと思います。


ただいま訪問している「SANZEN-HIROBA」で保存されている、こちらがそう。
ここの主です(「SANZEN-HIROBA」の名は、この「3000系(初代)」にも由来しています)。


ここからは、手元の書籍から拾いながら、さらにわたしの思い出をも交えながら進めます。

「3000系(初代)」はデビュー直後から大変な人気を博した車両だと語られます。



全国的にもまだ冷房車が貴重だった当時に、全車冷房を実現。名物の「テレビカー」は20インチのカラーテレビになり、座席は先代「1900系」の茶色ストライプ柄を引き継ぐも、厚みのあるモケットを採用、座り心地がさらに向上。

特に目新しかったのは世界初だという「座席自動一斉転換装置」。終着駅(淀屋橋や三条、出町柳)に到着し、降車が終わると所定の停車位置まで移動する間に、座席の向きを反対の進行方向に自動で転換する、というもの。出典③。



印象に残っているのは、休日など京都で観光を終えて、夕方に帰阪する乗客が多数列を為す始発の「三条駅(京都市東山区)」で、乗客を降ろした後、乗車待ち位置まで入れ換えの間に、バッタンと一斉に座席の向きが変わる様。


その座席転換の一部始終を見ていた乗客たちから、「お〜っ」という歓声が上がったのをよく覚えています。もちろん、鴨川沿いを走るあの懐かしい地上駅の三条で、でした。出典④。



「京阪特急」というと、京橋を出ると七条まで30分以上ノンストップで走破したという時代。現在のように枚方市、樟葉や中書島、丹波橋に停車するとはつゆにも思いませんでした。




ですので、大阪に住んでいた子どもの頃のわたしとしては、「京阪特急=3000系=茶柄ストライプのふかふかな座席=ノンストップで京都という遠いところに行くもの」という図式が出来上がっていて、特別な時にしか乗れないという、憧れの列車なのでした。ブログ主所蔵。



「SANZEN-HIROBA」を訪問する度に、出会う「3000系(初代)」を見るにつけ、いまなおそのような仄かな思い出に浸ります。



鴨川沿いを悠々と走る姿。これも印象的でした。五条で国道1号と平面交差。出典⑤。




風情ある鴨川沿いの地上線が地下に切り替えられたのは1987(昭和62)年5月でしたが、地下線開業の、晴れの祝賀列車に充当されたのもこの車両。


そういったことで、昭和40年代後半から平成はじめまでのおよそ20年以上、5代目京阪特急のフラッグシップを担った「3000系(初代)」。



さらに2年後の1989(平成元)年10月、当時の終着「三条駅(京都市東山区)」から北へ「出町柳駅(同左京区)」まで延伸された「鴨東線(おうとうせん)」が開業します。


ただ「3000系(初代)」の運命は、これによって突然にして、大きく変わるのでした。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「鉄道ピクトリアル 京阪電車開業70周年特集」No.382 1980年11月号 鉄道図書刊行会編・発行)

(出典②「私鉄ガイドブック・シリーズ 第5巻 阪急・京阪・阪神」慶應義塾大学鉄道研究会編 誠文堂新光社刊 昭和42年12月発行)

(出典③「カラーブックス日本の私鉄7 京阪」奥田行男・野村董・諸河久共著 保育社刊 昭和56年8月発行)

(出典④「私鉄の車両15 京阪」飯島巖・青野邦明・諸河久共著 保育社刊 昭和61年4月発行)

(出典⑤「京阪電気鉄道株式会社 70周年記念誌 過去が咲いている今 京阪この十年」京阪電気鉄道株式会社編・刊 1990年7月発行)