こんなニッチなものを!「川崎車両 鉄道車両室内銘板メタルキーホルダー」ガチャガチャを発見!その4 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。



先日、馴染みのガチャガチャ店舗で発見したこの「川崎車両 鉄道車両室内銘板メタルキーホルダーコレクション」なるシリーズについて取り上げています。1回500円で、全6種類。




今日はこちらから。ラインナップの中では、三番目に古いものです。昭和55年製造。




前回記事でも触れましたが、一・二番目のそれに記されている製造元は「川崎車両」ですが、ここからは「川崎重工」に変わっています。


1969(昭和44)年4月、グループの中核を成す「川崎重工業」がくだんの「川崎車両」と「川崎航空機工業」を吸収合併したことで、鉄道車両部門も「川崎重工」となったためでした。



ではここからも、馴染みの京阪電車にまつわるエピソードから拾ってみます。


この銘板は、その川重への吸収合併時(1969年)から、昭和末期までの約20年にわたり製造された鉄道車両に使用されていたものでした。



冷房車両が国内の有料特急で普及しはじめていた頃、関西ではじめて登場した通勤型冷房車両「2400系」。1969(昭和44)年デビュー、現在でも一部編成が現役。樟葉にて。



当時、沿線の急激な人口増加により、年々激しくなる通勤ラッシュに対して、「客用5枚扉」を擁し、通勤輸送に絶大な威力を発揮した、日本初の多扉車「5000系」。


1970(昭和45)年デビュー、2021(令和3)年引退。昼間・閑散時には第2・4扉を閉鎖、その部分には天井から座席が降下。守口市にて。




名物「テレビカー」はカラーテレビに、全車冷房化完備で、転換式クロスシートと豪華な装備で人気を期した「3000系(初代)」。1971(昭和46)年デビュー、2013(平成25)年に引退。


くずはモール「SANZEN-HIROBA(大阪府枚方市)」にて保存中。



そして、国内の大手私鉄では最後に残っていた架線電圧600Vの京阪電車。架線昇圧に対応出来ない旧型車両を一気に置き換えた「6000系」。

1983(昭和58)年3月デビュー、翌年には「鉄道友の会 ローレル賞」を受賞。平成はじめまで増備を重ねながら全車両が現役。淀屋橋にて。


という顔ぶれで、三番目の銘板を取り付けられたものは、京阪電車が一気に近代化された契機になった車両ばかり。やっと、わたしが生まれた時代に差し掛かりました。天満橋にて。


そういったことで、一・二番目のそれに対し、三番目は比較的長い期間にわたり使用されていたということで、京阪電車ではこれら昭和40〜50年代にかけて登場した車両が該当します。




「2400系」車両からの発生品がこれ。


「川崎重工」になったその年(昭和44年)に新造されたもの。デコラ板がクリーム地ですが、車体改修工事の際に張り替えられたもの。




こちらは「5000系」に取り付けられていたもの。同じ銘板ですが、こちらはキーホルダーと同じくの、昭和55年製造。


先ほど触れましたが「5000系」は1970(昭和45)年にデビューし、7両×7編成の合計49両(加えて、昭和55年に事故で廃車になった1両を代替新造)という陣容でした。ただ、最後の2編成14両は1980(昭和55)年製造。都合、10年にわたっての増備が重ねられた車系でした。



この銘板を付けていた車両は「昭和55(1980)年製造」、廃車は2021(令和3)年。


車齢は40年あまりとわかるのですが、還暦やそれに近い車両がいまだ現役ばりばりだということを考えると、京阪電車の通勤型車両としては比較的、短命の部類でした。京橋にて。



その最大の理由は「京橋駅(大阪市都島区)」に新設されることになった、ホームドア。


5扉を使用している状態の「5000系」では、他の車両と扉位置が異なるために、ホームドアの対応が出来ないためでした。




そして「6000系」。実は、わたしが最も好きな鉄道車両がこの車系。樟葉にて。



そういったことで、この三番目の銘板キーホルダーは、殊さら手に入れたかったものなのでした。以上、ブログ主所蔵。



次回に続きます。

今日はこんなところです。淀にて。