みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「くずはモール(大阪府枚方市)」内の京阪電車鉄道博物館「SANZEN-HIROBA(さんぜんひろば)」で現在開催されている「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪問した際の様子をお送りするシリーズ、再開したいと思います。

特急専用車としては6代目に当たるこの車両、登場から30年以上が経ちますが、タイトルにあるようにまさに京阪電車のフラッグシップとして、大きな存在感を放っています。2016(平成28)年2月、京橋にて。

さて、前回記事の最後で触れましたが、6代目の「8000系」に至るまでには、京阪特急には実にさまざまな車両がその時代ごとに登場、活躍を果たしました。

展示にあった「京阪特急50周年」を記念したポスター。2000(平成12)年のものですが、歴代の特急車両がずらり並んでいます。
ではここからは、京阪電車の歴史かたがた、訪問している「SANZEN-HIROBA」の常設展示などからもその系譜を探ってみたいと思います。

そして終戦から4年後の1949(昭和24)年12月、両社はようやく分離することになります。
ただし、戦前は京阪により保有していた、極力直線区間を多く設け、高速運行が出来る高規格路線の「新京阪線」の所属は、合併社内の極めて不平等な条件で「旧阪神急行側に属するもの」と旧阪急側に押し切られ、分離後は旧京阪の手から離れてしまい、旧阪急側に割譲されることになります。出典①。
これが現在の「阪急京都線」となりました。
「新京阪線 京阪京都駅(阪急大宮駅)」は、巨額の資金を投じ、難工事を経て関西初の地下路線として1931(昭和6)年3月に開業。

京阪電車は旧京街道に沿うように線路を敷いたためカーブが多く、所要時間を要していた経緯から建設した新京阪を阪急に奪われた京阪は、分離後はかつて自社線だった新京阪線(阪急)をライバルとして、カーブの連続する開業以来の京阪線で対抗せねばならなくなりました。
その対抗施策のひとつとして、翌1950(昭和25)年9月1日、登場させたのが「京阪特急」。

現在のように終日の運行ではなく、朝ラッシュ時には下り(京都→大阪間)、夕方以降に上り(大阪→京都間)が数本ずつ設定で、通勤特急のような扱いだったといいます。

当時、世界的に流行していた流線型が特徴ですが、車内は転換クロスシートを備えた立派な車両でした。これが「初代京阪特急」です。

ノンストップの京阪特急は好評で、日中にも運行することになり、翌1951(昭和26)年にはこの「1700形」が、2代目京阪特急として登場。
初代とは異なり、特急専用車両としてはじめて製造された車両でした。
解説にもありますが、長年にわたり親しまれた「カーマインレッド・マンダリンオレンジ」という京阪特急の塗装を最初に採用したのも、2代目の「1700形」でした。
よくよく観察しますと、正面の貫通扉に取り付けられている特急マークは、現在まで続く「鳩マーク」ではなく、赤地と白地にかたどられた丸いもの(モノクロでアレなのですが…)。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「京阪百年のあゆみ」京阪電気鉄道株式会社編・刊 2011年3月発行)