今春あらたに開業した「北陸新幹線 金沢〜敦賀間」に初乗りかたがた、開業に合わせて限定発売されたチケットレス企画乗車券「乗ってみよう北陸 WEB早特21」なるきっぷで、富山周辺を日帰り乗り鉄した道中記をお送りしています。
陽の長かった夏の終わりの日でしたが、6時を過ぎると夕景に車窓は変わって行きます。美しい田園風景ですから、なおのこと映えます。

さて、ここからは待望の「ますのすし」です!
北陸の旅を満喫して、いままでは金沢から「サンダーバード」車中で味わうのが帰路の楽しみだったのですが、今回からは新幹線車中での恒例行事になります。いや、楽しみ。

マスをあしらったかわいらしいパッケージを開けますと、丸形の木枠に重しの割竹が輪ゴムでびっちりと締められています。
木の香りと寿司の香りが渾然一体に漂うというので、開封の儀式だけでも最高です。

いつも思うのですが、結構固く押さえられているなと感じます。「ますのすし」は富山の郷土料理のひとつ、押し寿司なのでした。
富山の味 マス寿司
明治の中ごろまで、神通川はいまの松川付近を流れていた。そのせいでこの松川に沿ってマス寿司を売る店が多い。店先でマスの切身をそいでいる風景が見られる。
黒光りする神通川の石を重しにして木でつくった丸形のまげものにつめた寿しが何段にも重ねられている。
享保元年(1717)に富山藩の台所役・吉村新八が試作して藩主にさしだし、好評だったので将軍吉宗に献上したといわれる。(中略)神通川特産のマスだけでは需要に追いつかず、他からも買い入れている。笹の葉は上市町大岩の特産である。(後略、出典①)
富山を出発してほどなく渡った「神通川(じんつうがわ)」。
市内を流れ富山湾に注ぐ、県を代表する河川。

割竹と輪ゴムを外しますと、蓋がさながら桶のようです。趣向が凝らしてあるなあと感じるのですがその時に気になっていたのは、この絵。
神通川の舟橋
富山県富山市の神通川に架かる「神通川の舟橋」は常設の舟橋であり、1639年(寛永16年)の富山藩成立以降に架橋された。最長で430mあった川幅の両岸に柱を立てて鎖を渡し、64艘の船をつないで船の上に板を渡した。大水の時には舟橋を撤去し、水が引くと再び架橋した。

木製の常設橋が1882年(明治15年)に建設されて舟橋は役目を終えたが、この地点には明治時代の馳越工事で松川となった現在もほぼ同じ場所に同名の橋が架かり、舟橋という地名も残っている。(出典②。後略)
なるほど、舟を連ねて作った橋…当時は土木技術も未熟だったのでしょうし、神通川の流れ方から舟橋にしたのでしょうか。それがマスの遡上にも関係していたのかも知れません。「松川」の地名も合致しますし。興味深い話しです。

ちなみにいまの「神通川」は富山駅を発車して高岡・金沢方面に向かうと、ほどなく渡る川。
駅の西側を南北に流れていますが、文中にある「松川(かつての神通川)」は、駅の東側からぐるっと回る、小さい川なのでした。

県庁や城跡公園、富山一の繁華街・総曲輪(そうがわ)近くを流れています。
にぎやかなところで、マスは獲れたんですね。

蓋を取りますと、きれいに折りたたまれた笹が登場。この場面になりますと、笹の香りも漂います。

これをめくりますと…いよいよ「ますのすし」が姿を現します。

直径が15cmほどはありますので、丸かぶりは難しい。ということで、切り分けの出来るナイフが同梱されています。


さながらピザのようですが、これを好みの大きさに切り分けて頂きます。一人占め?するだけではなく、これならば分け分けも出来ますね。
もちろん、一人占めしますが(汗)

噛めば噛むほど酢飯とマスの香りが実に濃厚。押し寿司ですので、食べ応えあるというのもたまりません。お腹がふくれて来てもまだ残ってる!やったぁまだある!と思える訳です(笑)


ところで、今回の乗り鉄旅でもお世話になったこの参考文献「各駅停車全国歴史散歩 富山県(北日本新聞社編・河出書房新社刊 昭和54年7月発行)」。出典①。

その裏表紙にはやはり「ますのすし」でした。この富山の名物駅弁を長らく製造しているのは「源」さん。

「ますのすし」が美味しいのはもちろんですがマスの紅、笹の緑、ご飯の白が調和して、見た目にも美しいもの。
食べるまでに目や香りで楽しめて、という駅弁は、他には出会ったことがありません。それほどまでの存在感のある、大好きな駅弁です。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典②「フリー百科事典Wikipedia#舟橋」)