JR東日本 全線完乗への道!その134〜期間限定「キュンパス」で北東北をひとり旅 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年3月、期間限定で発売されたJR東日本全線乗り放題の企画乗車券「キュンパス」で、その北東北の未乗線区を乗り鉄しようと旅した際の様子をお送りしています。




さて、旅の第1日目(2024年3月11日)も佳境を迎えました。ここは「野辺地駅(のへじえき、青森県上北郡野辺地町)」。

3線区に迫った、わたしのJR東日本未乗線区。
そのひとつ、この駅から下北半島を北上する「大湊線」を往復して参りました。


広漠としていながらも、波の穏やかな陸奥湾(野辺地湾)から少し入ったところに「野辺地駅」は位置しています。まわりが緑に囲まれているので、先ほどまでの車窓とはだいぶ印象が異なります。グーグル地図より。



さて、乗り換えのためにホームに降り立ちますと、このような看板を発見。


吹雪や雪崖(せっぴ。積雪がつらら状になる現象)を防ぐために、線路沿いに植林するものを「防雪林」と呼ぶのですが、この駅に林立している防雪林は日本初のもの。

実に2km以上にわたって約700本が植林されているという、降雪の多い当地では現在でも重要な役割を果たすものです。「東北本線」の全線開業の翌々年、1893(明治26)年に植林ははじまったとのこと。貴重な遺産です。


では、この「野辺地駅」については、全国47都道府県を鉄道駅から詳しく取り上げるシリーズ「各駅停車全国歴史散歩3 青森県(東奥日報社編・河出書房新社刊 昭和57年1月発行)」より。


下北半島の玄関口
野辺地

「野中を流れる清い川」
下北半島に行く国鉄大湊・大畑線は、この野辺地で乗り換えとなる。またバス型をして、大きさもバスほどの列車が走る私鉄の南部縦貫鉄道もここが起点である。このように野辺地は昔も今も、交通の要衝である。


野辺地町の名の由来は、はっきりした資料はないが、アイヌ語の「ノンベチ」で「野中を流れる清い川」の意味だとされている。

野辺地だけでなく、このあたりにはアイヌ語に由来するといわれる地名が多い。ということは、このあたりは古い時代に、アイヌ民族の居住地であったということになろうか。
地元の人に聞いてみても、このあたりがアイヌ民族の居住地であったことを疑う人はほとんどいない。(後略、P42)


ここはもう地理的にも北海道、その道南に近接しているところ。有史以前から津軽海峡をはさんで往来があったことが窺えるのですが、そうなると、アイヌ語由来の地名があっても不思議ではありません。それを証拠に、アイヌ語由来の地名は宮城県が南限だといわれています。

海を隔てているので別の地のような気にもなるのですが、なるほどと感じます。北海道はもうすぐそこなのだと、またも旅情は高まります。


ところで、先ほどの「各駅停車全国歴史散歩」にあった「バス型をして、大きさもバスほどの列車が走る私鉄の南部縦貫鉄道もここが起点」という記述。


現在では「東北本線」を引き継いだ第三セクター「青い森鉄道」と、先ほど乗り鉄して来た「JR大湊線」のみが乗り入れているこの野辺地ですが、鉄道ファンには全国的に大変有名なローカル鉄道も、かつてここに起点駅を構えていました。出典①。



それが「南部縦貫鉄道」という路線。

かわいらしい「レールバス」という車両が城下町「七戸(同七戸町)」までを結んでいました。「各駅停車全国歴史散歩 青森県」より。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「国鉄監修 交通公社の時刻表 1985年3月号」日本交通公社発行)