春の箱根と小田原へ!念願の家族旅行記2023〜その54 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。久々の家族旅行で、3月なかばに「箱根・小田原」を訪れた道中記をお送りしています。


旅は第3日目(2023年3月12日)いよいよ最終日。小田原周辺の観光地巡りに当てました。




訪れたのは「小田原城」。
美しい白亜のお城は、小田原のシンボルだと言います。展望台にはたくさんの人!



「東海道五十三次」第9番目の宿場町が城下に発達したという、歴史の深いお城です。


それでは、この「小田原城」については…

先ほどの案内と、この旅では幾度も登場、全国47都道府県をテーマにしたシリーズもの「各駅停車全国歴史散歩15 神奈川県」(神奈川新聞社編 昭和55年2月初版発行 河出書房新社刊)などから、拾ってみることにします。



歴史の中へ華麗に登場
小田原

「平山城」ではわが国初
(前略)歴史の中に登場する小田原物語は華麗なものである。戦国時代、風雲児・北条早雲(1456?-1519)が大森藤頼(?-1503、上杉家に士官していた)を滅ぼして小田原に入ったのは明応4(1495)年だった。



こちらは駅の西口。お城とは反対側、新幹線のホームがある方です。城址公園へ向かう前にこの付近を散策していたのですが…


早雲公の、立派な銅像が鎮座していました。
小田原の歴史を語るに、欠かせない人物です。

そして氏綱、氏康、氏政、氏直と続く五代・100年近く、相模・小田原は関東の中心として勢威を誇った。



五代にわたって構築、拡充されていた城は、平野部に造営されたもの(平山城、ひらやまじょう)としてはわが国はじめてのもので、同時に武家屋敷から町家まで取り入れて構えた壮大な総曲輪(そうぐるわ、外郭)は延長五里(約20km)にも及んだという。

先取りしてお城の中にあった、広域地図より。縁取りされているのが「総曲輪」に当たるそう。これは結構な範囲ですが、庶民が住む地域まで包括されるほどです。武士以外をも大切に保護しようという現れでしょうか。続きます。


「小田原」の名を冠するものは多いが、北条氏は全国から著名な技術者を招いて産業の振興を図ったので、刀剣、鉄砲の兵器類から、先進的な土木技術など、独特な「小田原文化」をつくり上げていった。





昭和13年に国の史跡に
天正18(1590)年、豊臣秀吉によって北条時代は幕を閉じ、江戸時代には大久保、稲葉、そして再び大久保氏を城主に迎え、明治維新後には御用邸になった。


何度かの震災や取り壊しで城構えは変わり、関東大震災(1923年=大正12年)では壊滅的被害を受けたが、1938(昭和13)年に国の史跡指定を受け、城址跡部分と各所に残る空堀、土塁が保存されている。


駅のホームから白亜の天守閣が望める。歩いて10分、松、クスノキなどの老樹の下を歩いて天守閣へ。



これは1960(昭和35)年、およそ90年ぶりに再建されたものだ。残っていた絵図、模型を参考にしながら「昭和の天守閣」が出現した。


三層四階、コンクリート製ながら、苔むした石垣に歴史が積み重ねられているようだ。内部には小田原北条氏、江戸時代の貴重な資料などが展示されているのが興味深く、見学者も多い。
(後略、P48)



古くから発展していた街には、城郭などがその中心に鎮座していて、にぎわう城下町があったことは、歴史の定説とも言えること。まさに、小田原はそうだったようです。

それでは、このお城内部を拝見して行くことにいたします。


次回に続きます。

今日はこんなところです。