東大阪市役所で開催中!NHK朝ドラ「舞いあがれ!」展を観に行く その10 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。




ただいま放送中、NHK朝の連続テレビ小説「舞いあがれ!」。長崎・五島列島とともに、おらが街・東大阪がその舞台となっています。


市の中央部に位置する、市役所22階展望台で開催されている「舞いあがれ!」展を拝見した先日の様子を、お送りしています。



劇中で登場する「お好み焼 うめづ」の大将・梅津勝(山口智充さん)。


ドラマの舞台・東大阪から近い「藤井寺球場(大阪府藤井寺市)」を本拠にしていた「近鉄バファローズ」の大ファンであった…ということについて、先日から本題を外れて、項を割いています。




さて、劇中で度々登場する、勝の近鉄愛が溢れる「うめづ」の店内。


近鉄球団は2001(平成13)年に、前年の最下位からいきなりリーグ優勝を果たし、翌年もAクラスを確保するなど、さあこれからという時、2004(平成16)年に突如として「球界再編問題」が起こります。




作中では、主人公・岩倉舞(福原遥さん)は18歳、大学生になった頃です。



かいつまんで述べますと、近鉄・オリックス球団を合併し、さらに、パ・リーグでもうひとつ球団合併をさせ「10球団1リーグ制」を進めようとする、経営者側の論理でした。出典①。


この激動の出来事について、さらに手元の切り抜きから、少し拾ってみることにします。



合併を強行する経営者側に対し、古田敦也・日本プロ野球選手会会長(当時)が、ヤクルトで自身の試合をこなしながら、中心になり交渉。

それも物別れに終わり、史上初のストライキが決行されることになりました。出典②。



この動向に、世論や選手会は大変強く反発。


経営者側が選手会側に対し、時間を要しながら歩み寄りが図られ、その結果として「12球団2リーグ制」が維持されたという、日本プロ野球史上始まって以来、最大の危機は回避されるに至りました。出典③・④。



しかし、2リーグ制を維持する替わりに、当初の通り、近鉄・オリックス球団は合併することに。出典⑤。


9月27日の「オリックス・ブルーウェーブ×大阪近鉄バファローズ戦(ヤフーBBスタジアム、現在のスカイマークスタジアム)」での最終戦。


近鉄球団は55年あまりの歴史に幕を閉じ、オリックス球団に吸収合併される形で、姿を消しました(二軍は、その後もしばらく活動)。



この、一連の球界再編問題を経て、現在まで続く「セ・パ交流戦」が翌2005年からスタート。

ただしこの時点では、合併球団は誕生すれど、替わりに新規参入する球団が、まだ決まっていないという異例の状況でした。



チームリーダーの中村紀洋選手は、合併球団には加わらず、紆余曲折を経るも「ロサンゼルス・ドジャース」へ入団(帰国後の2006年、オリックスに所属)。ここまで出典⑥・⑦。


そして、合併して誕生する新球団「オリックス・バファローズ」の初代監督には、近鉄・オリックス両球団で監督を務めた、仰木彬さんが就任することに。


さらに、新規参入球団は「ライブドア」と争った「楽天」に決定したのは、11月2日…と、この年はシーズンオフに至っても、矢継ぎ早やにさまざまなことがありました。出典⑥。




その、近鉄球団の消滅と引き替えに誕生した「オリックス・バファローズ」は今年、ついに日本シリーズで優勝を果たしました。




「26年振り」と、幾度も言われていましたが、「バファローズ」としては初の日本一です。





近鉄時代には、リーグ優勝4回にも関わらず、最後まで叶わなかった「日本一」。さまざまな思いがきっと、ファンの方にはあっただろうと察します。出典⑥。


「バファローズ」という名前を継承しているチームですから、ホークスファンのわたしも、これは、率直にうれしかったことです。

ぐっさんは、果たしてどう感じているのか…


ところでこれまで、大阪を取り上げたドラマは数あれど、それに登場するのが阪神球団ではなく、今回は近鉄球団だということに、パ・リーグ好きなわたしとしては、大変な意義がある、と感じます。




府内でも、東大阪が属する中河内(なかがわち)、かつて「藤井寺球場」のあった南河内(みなみかわち)と言った地域では、確かに「近鉄バファローズ」文化は根付いていました(地図左隣、西側の泉州では「南海ホークス」文化が!)。出典。




近鉄球団の消滅から、もうすぐ20年。


その「文化」を世に知らしめたという点で、この作品の、描写や設定というものはそれだけで価値のあるものだと、当時を知る端くれとして強く感じます。出典⑥・⑧。



このような見方も出来るドラマなど、はじめて観たように思えた次第なのでした。出典⑩。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①毎日大阪朝刊 2004年7月8日付け)

(出典②朝日大阪朝刊 2004年9月18日付け)

(出典③朝日大阪朝刊 2004年9月23日付け)

(出典④毎日大阪朝刊 2004年9月24日付け)

(出典⑤朝日大阪朝刊 2004年9月9日付け)

(出典⑥朝日大阪朝刊 2004年9月28日付け)

(出典⑦朝日大阪朝刊 2005年2月5日付け)

(出典⑧朝日大阪朝刊 2004年12月29日付け)

(出典⑨大阪府ホームページ「私のまち 隣のまち」)

(出典⑩朝日大阪朝刊 2004年9月25日付け)