懐かしの昭和時代が甦る!大阪中之島美術館「みんなのまち 大阪の肖像 第2期展」観覧記〜その8 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


今春に開館したばかりだという「大阪中之島美術館(大阪市北区)」にやって来ています。

10月2日まで開催されていた、開館記念展「みんなのまち 大阪の肖像 第2期展」観覧がその目的です。



近代大阪の足跡を、絵画や資料、モックアップなどで回顧するという企画展。


戦後から昭和・平成に至る歴史の、さまざまなものが展示されているということですが、展示の目玉は、積水ハウスが1975(昭和50)年に施工したという設定の「1970年代実物大工業化住宅 みんなのおうち」なるもの。



内部の備品類まで、その当時に使用されていたものを忠実に再現しているということで、アラフォーのわたしにとっては、まさにビンゴな時代。ここまで、感動しながら拝見しています。



前回から、リビングまわりを拝見しているのですが…
これも、本当に懐かしい家具調のカラーテレビ!その大きさ、存在感にはいまさらながら驚きます。ナショナル、松下電器製。


これは、ブラウン管の前にシールドを貼ってあるものですね。映りが良くなるとかなんとか言われていた代物、だったでしょうか。



そう、チャンネルスイッチはガチャガチャ回すやつです!あまりやり過ぎると段々甘くなり、抜けてしまうことがありました。

それを良いことに、自分の見たいチャンネルにしてからこれを引っこ抜いて隠し持っていた、悪い子でした(笑)しかし、チャンネル争いというのも、今日ではなくなりましたね。


つまみや、音量調整のスイッチもこれは懐かしい。しかし、オンオフのそれは丸いボタンのものが多かった記憶がありますので(うちがそうでした)、全体的な設えも含めて、これは「高級品」の類に入るものだと思われます。



別の場所にも、さまざまな電化製品が展示されていたのですが、家具調というのは、日本独自の文化だったとは。


さらに、1960年代から次々と登場したカラーテレビには、他の白物家電同様に愛称がつけられることが多かったようです。

展示されていたこちらは「嵯峨(さが)」。1965(昭和40)年製造、とありますので、カラーテレビが市中にようやく普及しはじめた頃でしょうか。


それこそ現代のように、簡単に買える代物ではありませんでしたから、とかく大切にされていました。チャンネルで遊んでいたわたしが言うこっちゃありませんが(苦笑)



そして、カラーテレビに並ぶ当時の憧れだったのは、このステレオ。



もちろん、媒体はレコード。さらに、AM/FMラジオもついているタイプだとわかります。お父さんにとっては、ステータスの現れだったに違いありません。
今日のように、スマホやユーチューブなどで気軽に音楽など聴けませんでしたし…


高級感ある家具が揃い、ゆとりある設えのリビングというのは、家族が集う団らんの場にふさわしいものでした。


そういったことで、1975(昭和50)年に新築一戸建てを建てた「温居さん」のお家を拝見して来ました。

このシリーズ、毎回のようにしつこいと叱られそうですが、まさにわたしにとってどストレートなものばかり。場面場面で、思わず子どもの頃を思い出し、期せずしてうるっとしました。
いや、本当にいいものを拝見出来ました。


ところで、内覧を終えてエスカレーターを降りて行きますと…ものすごい人だかりが出来ているではないですか。



実はこれと同期間に、やはり開館記念展というので「岡本太郎展」が行われていました。

こちらは、テレビや新聞などで大々的に告知されていたこともあり、えらい人気を博していました(同僚も幾人か観覧したそうですが)。


55年振りの万博が大阪に帰って来る、ということもあってでしょうか、太郎の生涯にわたる作品を展示するなど、話題を集めていました。

半券があると、こちらの入場料が割り引きになるということで、当日券を求めようとしたのですが、3〜4時間待ちだとのことで…残念。


しかし、本当に昭和の終わりの頃の、子ども時代に戻れたかのような時間でした。
小さい頃というのは、日常の風景でさえも強い印象の残るような、多感な時期だったのだなと、感慨に耽ってしまった帰路になりました。

お付き合いくださりありがとうございました。
今日はこんなところです。