阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その106「和歌山駅周辺の鉄道網変遷を辿る」Vol.19 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

「和歌山駅」「和歌山市駅」が現在玄関口としての役割を果たす、市内中心部の交通拠点。


その歴史を掘り下げますと、さらに「紀和駅(きわえき)」「中ノ島駅(なかのしまえき)」という駅もそれに関わるなど、深く複雑な経緯がありました。

本題の「阪和電気鉄道」こと現在の「JR阪和線」のそれを中心に、現在までのそれら変遷を実際に辿ってみようということをしています。


引き続いて、かつては和歌山の交通拠点だったという「JR阪和線 紀伊中ノ島駅」をあれこれと探索しています。


さて、無人駅であるこの「紀伊中ノ島駅」。
高架ホームから改札を抜けて、次は駅舎へと向かいます。


かつての駅改札あたり。
待合いのベンチや、ポスターの類も一切なく、余計にがらんどうとした印象を受けます。


いかにも、機能的なモルタルづくりだとわかるのですが、ここまでさまざまなものが省かれているとなると、まるでここは鉄道の駅ではないかのようにも思えます。

ただ、陽射しがさんさんと入り込んで来ることが、殺風景で暗い雰囲気にさせていないことにはっと気づかされます。これもデザインの妙でしょうか。


駅舎外観。
内部のそれとは異なり、明るいデザインです。
昭和初期としては、きっと斬新なものだったのでしょうね。


格子柄の窓飾り、というのが、まるで戦前の洋館を思わせるかのようです。
建設は1936(昭和11)年ということなので、やはりそうかとひとりごちてしまいます。



いまは人気のない無人駅ですが、この箇所は臨時の改札だったのでしょうか。
この部分にはわざわざ庇が取り付けられているので、それなりの乗降があったのでしょうね。



しばらく、瀟洒な駅舎を眺めたところで、再び構内に戻ることにします。しかし…


駅舎を入ったところに鎮座する幅の広い階段。
これを上がった通路然とした空間…
やはりこれは、ホームそのものです。

次回に続きます。
今日はこんなところです。