みなさんこんにちは。前回からの続きです。
JR、南海、和歌山電鐵が集う、和歌山駅周辺。
現在は「和歌山駅」と「和歌山市駅」の2つがその玄関口としての役割を果たしています。
歴史を掘り下げますと、さらに「紀和駅」や「中ノ島駅」という駅もそれに関わり、深く複雑な経緯があります。
本題の「阪和電気鉄道」こと現在の「JR阪和線」のそれを中心に、現在までの変遷を実際に辿ってみようということをしています。
さて、南海電車に間借りしている形が珍しい「JR和歌山市駅」にやって来ました。
グーグル地図より。
ここを発着しているのは「紀勢本線(きせいほんせん)」。南紀方面へ、紀伊半島をぐるっと周回する路線ですが、やって来る列車はすべて2つ先の「和歌山駅」までしか行きません。

そういったことで、現在ではこの短い区間を2両編成の列車が行き来するのみですが、かつては
重要な役割を有していました。
その痕跡が遺されているというので、前面にかぶりつきながら探してみようと思います。

ほどなく発車。広い駅構内ですが、JRはいちばん南側の、草生した単線を行きます。


左側から寄り添って来る複線は「南海本線」と「加太線(かだせん)」。しばらく並行しながら、跨線橋と踏切を通り抜けるのですが…
跨線橋をくぐった踏切の向こうに、さっそくくだんの痕跡を見つけました。それが、JRから南海へと入る、片渡り式の分岐器です(□内)。
ということは、これの存在によって、令和の現在においても、南海・JR両線がここでつながっていることがわかります。
しかし、何の変哲もないようですが…

「国鉄監修 交通公社の時刻表 昭和54年3月号」阪和線・紀勢本線のページより。
その理由を紐解くべく、40年ほど前の時刻表を繰ってみたいと思います。紀勢本線内の列車だけではなく、大阪方面(つまり阪和線)からやって来る優等列車も記載されています。

当時の、大阪方のターミナル駅は「天王寺」。
環状線への連絡線はまだないので、大阪から南紀方面へ向かう列車は、この駅の始発・終着なのですが、その下には「難波」の文字が。
戦前より、南海電車は紀勢本線に乗り入れを行っていました。
それがこの「きのくに」という愛称の、ディーゼル気動車を用いた急行(南海線内では特急扱い)で、こちらは南海の大阪方のターミナル、難波駅を発着していた列車です。出典①。
阪和線が通らない、沿線の主要都市である堺、岸和田に停車するなど、南海沿線から南紀方面への便宜を図っていました。
この列車、国鉄側で天王寺発の「きのくに」と同じ名称に合わせてあり、和歌山駅からはそれと併結して紀勢本線、白浜や新宮へと向かっていました。ただし…

紀伊田辺18:55着→白浜20:08着→串本21:20着…と来て、終着の新宮には22:23着という、非常に長い所要時間を要す、ロングランな運用です。
和歌山までに時間差が生じる理由としては、南海からの「きのくに」が、非常に手間のかかる経路をたどっていたことがひとつ挙げられます。例として、大阪→南紀方面への列車では…
まとめますと、進行方向を替え、単線区間を徐行。さらに、和歌山駅で国鉄ダイヤに合わせるために長時間の停車と、南海にとっては大変な手間暇と時間のかかるものでした。出典①。

さらに直通先だった新宮以西の「紀勢本線」はいま乗車している「和歌山市〜和歌山間」以外の全区間が、1978(昭和53)年10月に電化されます。
紀勢本線の非電化区間に対応するため、ディーゼル気動車で運行されていた「きのくに」も、電化後は敢えて運行する必要性がなくなったこと(もっといえば、ここに残された非電化区間を走行するためだけになった)南海直通列車の利用客の減少などを受けて、1985(昭和60)年3月に廃止されるに至りました。出典②。
昭和初期からはじまった、南海の紀勢本線南紀直通運転は、これ以降運行されていません。
ただし、メーカーで新製された車両を南海線内へ搬入するに当たり、最近までこの連絡線は有効に活用されていたのだとのこと。出典③。

少し探ってみますと、興味深い歴史がわかりました。ちなみに、この区間が電化されたのは1984(昭和59)年10月でした。
(出典①「週刊朝日百科 週刊歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄16 南海電気鉄道」朝日新聞出版刊 平成22年発行)
(出典②「カラーブックス日本の私鉄⑨南海」井上広和・南海電気鉄道車両部共著 昭和57年発行)
(出典③「ヤマケイ私鉄ハンドブック9 南海」廣田尚敬写真 吉川文夫解説 山と渓谷社刊 昭和58年発行)
次回に続きます。
今日はこんなところです。